茂樹様
ありがとう。
大好きです。
出会えてよかったです。
妻が亡くなった翌日、家で葬儀のための写真を探していた。食卓のそばの缶を開けると、手のひらにのる小さなノートが数冊あった。家族それぞれにあて、妻の丁寧な鉛筆書きが亡くなる45日前まで続いていた。
こんなことを考えていたのか――。宮崎県延岡市に暮らす粟田茂樹さん(62)は繰り返し読み、今も妻と会話している。
茂樹さんは中学校で技術家庭を教え、妻の紀久子さんは小学校の教員だった。1990年に結婚し、息子2人に恵まれた。いつもにこにこしている妻に家のことは任せっぱなしだった。
乳房の具合が気になるとは言っていた。担任の仕事が忙しく、病院に行くのを先延ばしにしていたのかもしれない。2001年、妻は39歳で乳がんのステージ4と診断される。
なぜ、早く病院に行くように…