霧島温泉郷に旅行した時の粟田茂樹さん(右)と紀久子さん=2016年、粟田さん提供

 茂樹様

 ありがとう。

 大好きです。

 出会えてよかったです。

 

 妻が亡くなった翌日、家で葬儀のための写真を探していた。食卓のそばの缶を開けると、手のひらにのる小さなノートが数冊あった。家族それぞれにあて、妻の丁寧な鉛筆書きが亡くなる45日前まで続いていた。

 こんなことを考えていたのか――。宮崎県延岡市に暮らす粟田茂樹さん(62)は繰り返し読み、今も妻と会話している。

 茂樹さんは中学校で技術家庭を教え、妻の紀久子さんは小学校の教員だった。1990年に結婚し、息子2人に恵まれた。いつもにこにこしている妻に家のことは任せっぱなしだった。

 乳房の具合が気になるとは言っていた。担任の仕事が忙しく、病院に行くのを先延ばしにしていたのかもしれない。2001年、妻は39歳で乳がんのステージ4と診断される。

 なぜ、早く病院に行くように…

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