平和記念公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑には多くの人が足をとめていた=2025年6月11日、広島市、高木智子撮影

現場へ! 壊された朝鮮人追悼碑(5)

 群馬県では公園から朝鮮人を悼む追悼碑が撤去された。ところが、碑が公園の外から中へと移された例もある。

 広島市の平和記念公園だ。

 6月中旬。原爆ドームの前では、朝から修学旅行の児童生徒やインバウンドの観光客らが見学していた。行列の間をぬって、「その碑」を探した。

 静かな木立にたたずむ、いくつもの慰霊碑をくぐりぬけ、すぐに韓国人原爆犠牲者慰霊碑はみつかった。

 神話上の動物、玄武がかたどられた台座の上に5メートルの碑がそびえたつ。ハングルと日本語と英語で記された慰霊碑の由来には、こうあった。

 「第2次世界大戦の終わりごろ、広島には約10万人の韓国人が軍人、軍属、徴用工、動員学徒、一般市民として在住していた。原爆投下により2万人余の韓国人が一瞬にしてその尊い人命を奪われた」

 「悲惨を強いられた同胞の霊を安らげ、原爆の惨事を二度とくり返さないことを希求しつつ、平和の地、広島の一隅にこの碑が建立された」

公園外に置かれた「差別の象徴」

 この碑は1970年に在日の被爆者によって建てられたが、当時、公園内に建立することがかなわず、対岸にある橋のたもとに留め置かれ、狭い所で式典が行われていた。

 同じ原爆による犠牲者なのに、なぜ公園の外なのか。

 被爆2世の権俊五さん(76…

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