復元された「奇跡の一本松」の前で安倍勝さん=岩手県陸前高田市で2月16日撮影。
2023年3月11日13時42分(日本時間)
2011年3月の東日本大震災とその後の津波で唯一生き残った岩手県陸前高田市の海岸「奇跡の一本松」が、今年で復活して10年になります。
ここ数年、津波で流された海岸の松林が植樹され、6月には全国植樹祭が行われます。
震災からの復興の希望の象徴である一本松は、津波の悲劇を乗り越えようとする住民の決意と、熟練した技術者や職人たちの努力によって復活しました。
2011 年 3 月 11 日、陸前高田市の都市計画課のメンバーである阿部勝は、市役所の屋上から津波が町に近づくのを見ました。 黒い波は海岸や住宅街の松林7万本を飲み込み、3階建てのビルの屋上に迫った。 助けを求める人々の悲鳴が聞こえたが、彼にできることは何もなかった。
市内で約 1,550 人が死亡し、さらに約 200 人が行方不明になっています。 津波が収まると、安倍首相は避難所の人々が無事であることを確認しようとした。 その時、海岸に一本の松が立っていると聞いた。 彼はその木を自分の目で確かめようと出発し、倒壊した建物の近くで曲がらずに立っているのを見つけました。
しかし、数か月後、「奇跡の松」は衰退の兆しを見せ始めました。 海岸線の地形が変化し、根の周りの土に海水が染み込み始めました。
高田松林を守る市民団体などの地元有志が、地中から海水を吸い上げた。 しかし、これでは根の腐敗を止めることはできませんでした。
安倍自身も、震災からの復興を願う地元の人々の希望を支えてきた「なんとか木を生かしたい」と願っていた。 しかし、可能な唯一の選択肢は、それを切り倒して人工的に保存することでした.
諦めかけた市に、「津波前の姿に戻そう」という思いがけない提案があった。 美術館の内装など、建築空間の設計・運営を幅広く手掛ける株式会社ノムラからの提案でした。
“出来ますか?” 保存事業を担当した阿部さん。 さらに驚いたのは、木を切り倒した後、幹を5つに分割して組み立て直し、中央にシャフトを通し、鉄筋コンクリートの土台を作るという提案でした。
樹木の外観は保たれますが、建築基準法上の「樹木」ではなく「構築物」となります。
しかし、市役所内で異議は唱えられなかった。 「木を倒すのは津波に負けるのと同じ。 それが私たちの誰もが思っていたことです」と安倍は振り返った。 2012 年 6 月、市はこの計画を採用することを決定した。
「前例がなく、全国の技術を結集する一大事業でした」と、当時野村のプロジェクトリーダーであった友野保さん(57)は振り返る。
幹をくりぬいたのは、愛知県弥富市の製材所で、山車などの製作を得意としていた職人。 この任務を遂行するために、彼は改造したチェーンソーを使用しました。