散骨フランチャイズ㊤
北九州市の神社が、海洋散骨事業をフランチャイズ(FC)展開し、各地の神社にノウハウを伝えています。なぜ由緒ある神社がFC展開に乗り出したのか。2回で伝えます。
本州と九州を隔てる関門海峡は、日々、世界各国の船が往来する。そこに臨むように社殿が立つ和布刈(めかり)神社(北九州市)は、潮の「満ち引き」をつかさどる神様を奉る。
旧暦の元日には境内から海におり、たいまつを頼りにワカメを刈る「和布刈神事」を行い、航行する船の安全と豊漁を祈る。創建は約1800年前とされる。
神様がすむこの場所は2年前、ある事業をフランチャイズ展開するための本部となった。社長に就いたのは32代神主の高瀬和信(39)。異色の神主の歩みをたどる。
大学卒業後の2009年、神職になった。祖父と父も守ってきた神社に戻り、目の当たりにしたのは、運営の「正月依存」だった。
「正月の収入を12等分して、1年やりくりする」。当時の収入は年500万円ほど。三が日に得られるお守りの初穂料やおさい銭などが大半を占め、普段、参拝者が訪ねてくることはほとんどなかった。「邪魔になることもないから」と、のぼりさおは年中、灯籠(とうろう)に立てかけてある有り様だった。
神社の収入だけでは社殿を維持し、家計を回すことはできなかった。祖父はコチョウランの生産農家、父は古物商として働く兼業神主だった。実家は境内の授与所の裏にあったが、2人の着物姿を見るのは月に1回ほどしかなかった。
高瀬は「日頃はお守りも出さず、神社の機能を果たせていなかった」と自戒も込め、振り返る。
自身も神社の外で職を得るつもりだった。地元の北九州市内で仕事を探し、広告や不動産の会社に履歴書を送った。だが、「神事のため平日に休みがいる」と伝えると、採用されることはなかった。引っ越しやビラ配りなど日雇いのアルバイトで細々と収入を得た。
境内での仕事といえば、草むしりばかり。兼職にも就けず、気がめいる日々だった。
神職になって2年後の11年、祖父が亡くなった。病床では「正月はどうやったか」と、ことあるごとに口にした。認知症を患いながら、その年の運営を左右する正月の収入を最期まで気にかけていた。
「このままの神社でいいのか…