東京六大学野球の春季リーグ戦第4週が3日、神宮球場であり、立教大野球部OBのフリーアナウンサー、上重聡さん(45)の始球式が行われた。
同連盟は創設100周年を記念して、各大学のレジェンドによる始球式を連日実施している。
上重さんは4年生の主将時代に着用していた背番号10のユニホームで登場。ジェスチャーで捕手を打者から少し遠ざけ、全力で投げ込んだ。
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球はワンバウンドになったが、力強いフォームでスタンドを沸かせた。20年以上ぶりの「登板」。「力んでしまいました」と笑顔を見せた。
上重さんは日本テレビの元アナウンサー。PL学園時代に1998年の夏の甲子園で、横浜の松坂大輔さん(プロ野球元西武など)と投げ合ったことでも知られる。立大に進むと、2年秋だった2000年にリーグ史上2人目となる完全試合を成し遂げた。
甲子園で活躍した呪縛 背水のマウンド
完全試合を達成した日は、たまたま4年生の引退試合だった。上重さんが6回までを投げ、あとは4年生投手でリレーする予定だったと振り返る。
しかし、八回を終えても安打はおろか走者も失策も出なかった。4年生に出場してもらうため、自ら監督に降板を申し出ると、「過去に完全試合は1人しかいない。先輩に頭を下げて投げてこい」と言われたという。先輩たちは「投げるからには達成してこい」と送り出してくれた。
「あの松坂と投げ合った」という周囲からの視線は、いつしか重しになっていた。大学入学以後、球を思うように投げられなくなるイップスを発症し、一時は投手を「クビ」に。大記録を達成した東大戦はイップス明けで挑んだ、背水の登板だった。
上級生になってから、再び思うような投球ができなくなってプロ入りは諦めたが、4年次には主将を務めるほど周りに信頼された。
神宮のマウンドは現役時代よりも硬くなっていたが、マウンドからの光景も、声援も変わらなかった。諦めなければいいことがあるとも教えてくれた。
「完全試合は、神様からのご褒美だったのかな」
会見は、野球への感謝であふれていた。