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父と母。家族みんなが大好きだったナンジャモンジャの木の下で=家族提供

 「在宅介護なんて絶対無理」

 そう思っていた。物心ついたときから、半身まひの祖母を、専業主婦の母やおばたちが介護している姿を見てきたから。在宅介護には手がかかる。働きながらの在宅介護は無理だろう。東京都のタカコさん(55)にとって、自分の親が老いたときの選択肢は「施設に入る」一択のはずだった。

 一緒に暮らす母アキコさんに、認知症の兆しが見え始めたのは2016年ごろのことだ。法事に出かけて、行き方に迷っていたらしい。親戚のおじやおばたちから「ちょっと気をつけた方がいいかもよ」と言われた。

 母は当時83歳。「年も年だし、そういうこともあるかな」とタカコさんは思っていた。

 タカコさんは、大学で教えていた。病院の薬剤師から、40代半ばで大学へ転身。実務経験を生かしながら、薬剤師のたまごたちに、患者への「接遇」を教えていた。父母とめいと4人で暮らす実家から、毎朝6時に出勤し、夜11時に帰宅する日々。若い学生たちとのやりとりは新鮮で、楽しかった。

 母は朝、いつも先に起きて、朝食に卵焼きを作ってくれた。タカコさんが仕事に出かけたあとは、女学生時代の友人たちと食事会に出かけたり、おしゃれをしてデパートに買い物に出かけたりと、楽しく過ごしているようだった。休みの日には、母娘で歌舞伎に行くこともあった。

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認知症の兆しが見え始めたころの母。「老い」を前に、母自身も葛藤を抱えていた=家族提供

 日常生活に支障はなく、変わらぬ時間が続いているように見えた。でも、母の様子は少しずつ、変わりはじめていた。

 夜の食卓には、買ってきた総菜や「きゅうりの塩もみ」が並ぶようになった。

 保険証や通帳がみあたらず、父が捜し物につきあう時間が増えた。

 そしてある日、母は早朝に起きてこなくなった。

心動かした母の言葉、抵抗勢力になった父

 17年の秋。小学校のクラス…

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