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1930年ごろの特急「富士」の展望車車内。「桃山式」と呼ばれる純和風の内装が特徴だ=鉄道博物館提供

 80年前の8月15日、敗戦を告げる玉音放送が流れた日も列車は走り続けていた。大正期から昭和初期にかけて「陸上交通の王者」として黄金期を迎えた日本の鉄道は、後に太平洋戦争に拡大していく37年の日中戦争の始まりを機に戦時体制に組み込まれていく。人々を旅にいざなう「身近な乗り物」から、軍事輸送を担う「戦力」へ。その変貌(へんぼう)の道のりをたどる。

 さいたま市大宮区の鉄道博物館。歴史的な活躍を果たした実車が集まる車両ステーションで、1872年の鉄道開業時に新橋―横浜間を走った「1号機関車」と並んで来場者を迎えるのが、1930年製造の特急「富士」用の1等展望車だ。漆塗りの天井にきらびやかな飾り金具と、外国人客を意識した純和風の豪華な内装は、日本と欧州を乗り継ぎ連絡で結ぶ国際特急の証しだ。

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鉄道博物館に展示されている特急「富士」の展望車=さいたま市の鉄道博物館

 東京駅開業(14年)、山手線の環状運転化(25年)、東京―神戸間に超特急「燕(つばめ)」運転開始(30年)……。鉄道の開業から半世紀を迎えた大正期から昭和初期にかけ、路線網は全国に広がり、鉄道省が運営する国有鉄道(現JR)、私鉄ともに現在に至る主要路線がほぼ完成。空気ブレーキなど車両技術の進歩で列車はスピードアップを果たし、「鉄道黄金時代」と呼ばれた。

 カラフルなイラストをあしらい、人々に旅の魅力を訴えかける鉄道旅行案内はベストセラーとなり、箱根や富士五湖を巡る遊覧券(周遊券)も登場。鉄道省と新聞社がタイアップした一般投票で上高地や十和田湖、華厳の滝などが「日本八景」に選定され、観光地の最寄り駅に駅スタンプが置かれるようになったのもこのころだ。さらに31年に東海道線を走り出した3等寝台車は上中下3段の寝台をリーズナブルな料金で提供し、それまで一部の富裕層のものだった「寝台列車の旅」を一気に大衆化させた。

観光旅行は「不要不急」、わずかな例外も

 人々を旅にいざなう「身近な…

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