Smiley face

 《広島は不思議な力を持つ街である。ジャーナリストが一度そこに足を踏み入れると、その街のために何かを書かなければならないという責任感の虜(とりこ)になるのである。》

 かつてNHK記者として広島に赴任したノンフィクション作家・柳田邦男さんの言葉だ。

 被爆者の証言を語り継ぐ「被爆体験伝承者」を養成する事業が広島市にある。体験の聞き取りを重ね、市の認定を受けて伝承者になれる。市内在住か否かは問われない。

 記者の私(33)は広島に赴任して9カ月後の2023年6月、参加を申し込んだ。メディアでもよく取り上げられる事業だが、当事者になって内側から見れば、被爆体験の継承という重要なテーマをより深く理解できるかもしれないと考えた。

 市に紹介された被爆体験証言者のうち、広島市中区の若山登美子さんの証言を受け継ぎたいと願い出た。聞き取りは月に1~2回で、毎回約3時間。私を含めた最大10人ほどの「研修生」が周りを囲み、質問をしながら話を聴いていった。

写真・図版
若山登美子さん。筆者が記事を書こうと思い立つ前に亡くなり、写真を撮っていなかった。この写真は2022年11月に同僚が取材で撮ったものだ

 若山さんは被爆当時6歳。広島市に父を残し、母、妹と河内村(現三次市)の母の実家に疎開していた。原爆投下の3日後、父を捜すために広島市に戻り、入市被爆した。顔や体が赤黒く腫れ上がり、髪がなくなって男女の別もわからない人らを見た。「お相撲さんのお化けみたい」と幼心に不思議に思ったという。一面が焼け野原で、まだ地面が熱かった。2日かけて見つけた父は頭に大けがをしていて、翌9月の14日に亡くなった。

聞くべきは「被爆体験」だけではない

 聞き取りは23年10月から丸一年続いた。一人の話をこれほど長く聞き取るのは初めてだった。いつも笑顔を絶やさず、私たちはあっという間に心をつかまれた。つらかった思い出さえも笑いを交えて語ってくれた若山さん。いつしかこう思うようになった。

 聞くべきは「被爆体験」だけではない――。

    ◇

 父の死後、母の実家にそのまま身を寄せた若山さんは親類から「この子は父親もおらんし、(嫁ぎ先に譲る)田畑(でんばた)もない。お嫁に行けるかね」と心配された。母には箸の上げ下ろしまで厳しくしつけられた。

 小学5年生だったある日、校内放送が流れた。

 「広島に原子爆弾が落ちたこ…

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