兵庫県の北部、豊岡市。20戸ほどが点在する集落から、裏山をのぼる。真新しい墓石を横目に急な坂を上がると、斜面を切り取った平らな土地が開けていた。
「ここが一族の墓地ですわ。いや、墓地の跡地です」。いまはふるさとを離れ、車で2時間近くかかる別の自治体に住む男性(77)が言う。
実家の代々の墓は、菩提(ぼだい)寺に移した。跡地には背丈ほどまで伸びたササが密集する。
ここは一族を中心に9家が各自の区画を代々使ってきた共同墓地。ほかの家の墓石が残る一角もあり、「享保」という江戸時代の元号(1716~36年)が刻まれているのが見える。
かつては、家々と、谷筋に広がる農地を見渡せたはず。いまはもう大きくなった木々に遮られ、視界がきかない。「ここはどうすればいいんでしょう」。墓石は移した。しかし、数十年前までは土葬だったといい、改葬時に土を少しすくって移したものの、「まだじいさんはここにおるんですわ。ばあさんはもう火葬だったのでここにはおりませんけど」と男性は苦笑いする。
登記の名義は1926年死去の曽祖父
男性が「どうすればいいのか…