つむぐ 被爆者3564人アンケート 川口光勇さん(100)

地図を指さしながら、広島で被爆した時のことを語る川口光勇さん=2025年6月3日、青森県弘前市、吉田耕一郎撮影

 「昨日は眠れなかったんです。何を話そうか色々と考えてしまって」

 広島市で被爆した川口光勇さん(100)=青森県弘前市=が照れくさそうにはにかむ。はっきりした発声は百寿であることを感じさせない。あの日のことを語り始めると、表情を一変させ、語気を強めた。

 「助けて」という声が今でも聞こえる。たまに目が覚めてしまうんです――。

【3社合同企画】つむぐ 被爆者3564人アンケート

原爆投下から80年。朝日新聞、中国新聞、長崎新聞の3社は合同でアンケートを行いました。被爆者たちが私たちへ託した言葉をみる。

 青森県三戸町に生まれた。6歳の時に満州事変があり、12歳の時に日中戦争が始まった。戦争とともに子ども時代を過ごした。

 1942年、17歳で教員不足を補う「代用教員」として国民学校で教職に就いた。

 45年3月、20歳で陸軍の船舶工兵隊に入隊。宮城県の石巻で、手旗の練習や船の操縦など訓練を重ねた。上官らから殴られるのが日常だった。

 訓練を終えて列車で広島の司令部に向かい、8月6日、爆心地から2.6キロの広島市若草町(現・東区)で被爆した。地元の「九条の会」の会報に寄せた手記には「一瞬何が起こったのか、ただ呆然(ぼうぜん)。その時、自分が何をしたのか、未(いま)だに思いだせません」とある。

 その後、部隊で市内を歩いた。

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 目のない人が「私はどこか」…

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