勤続35年。約150人の同期入社のうち、女性総合職として採用されたのは20人足らず。いまも会社に残っているのは、自分を含め3人しかいない。
「男性と同じ条件で働く、均等法第一世代の女性の生き様を見せられたかな、と」
60歳の定年を前に、キリンビールの森美江さん(58)の表情はどこか晴れやかだ。
人材の採用や配置、昇進などに関し、性別で差をつけることを禁じた男女雇用機会均等法。1986年の施行から90年ごろまでに就職した女性たちは、「均等法第一世代」と呼ばれる。
森さんも筑波大学を出て、89年に入社した第一世代。最初の配属先は、南大阪支店の営業職だった。
「子育てとキャリア」の両立に苦心
町の酒屋約150店を受け持ち、営業車で「御用聞き」をして回った。瓶ビールが詰まったケースを運ぶのがとにかく重かった。ライバル社からは女性だからと標的にされ、得意先の飲食店を奪われそうになった。
世間では、憲政史上初の女性党首として、土井たか子さんが社会党の党首に就任し、「マドンナ旋風」に沸いていた。
「おたかさんを見習って、あなたも活躍しないとね」。そう言って、オロナミンCを渡してくれる酒屋の女性もいた。
まだ女性社員の大半が「一般職」という時代。数年後に東京の本社勤務になると、総合職の自分も、一般職と同じ制服を着るように求められた。
「あなたはどっち?(四大卒か短大卒か)」。そんな質問に答えるのが煩わしかった。上司から、商社勤務の男性とのお見合いを設定されたこともあった。
グループ会社に出向していた97年に結婚し、出産。育休を経て職場復帰すると「戦力外通告」を受けたような気分になった。
同僚の男性は、妻が専業主婦という家庭がほとんどで、残業も出張も自由。だが自分は共働きで、子どもを保育園に預けて働いていたため、定時退社が多く、泊まりがけの合宿のメンバーからも外された。
となりの部署では管理職を務める女性が出産後、育休を取らずに復帰し、午後10時まで子どもを保育園に預けて働いていた。そこまでしないと女性はキャリアを築けないのかと、がくぜんとした。
潮目の変化を感じるようになったのは、女性活躍推進法ができた2015年前後からだ。
均等法第一世代の女性たち
均等法が施行されたとはいえ、女性ゆえの「生きづらさ」にも直面した第一世代。活躍の場を自ら開拓し、定年期を迎えた2人の女性の物語です
社内の「ウィメンズネットワ…