旧陸軍毒ガス兵器工場の跡地。円柱の排気筒にはツタが絡まっていた=2025年5月12日午前10時3分、北九州市小倉南区、ドローンで日吉健吾撮影

 北九州市の住宅街に戦時中、毒ガス兵器が作られていた工場の跡がある。正式名は「東京第2陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)曽根製造所」(北九州市小倉南区)。1937年に建てられ、日中戦争から太平洋戦争にかけて、大久野島(おおくのしま)(広島県竹原市)などで造られた毒ガスが運び込まれ、砲弾や爆弾に詰められた。

 現在は陸上自衛隊小倉駐屯地の曽根訓練場となっている敷地に、朝日新聞の記者が特別に許可を得て入った。

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 短く刈り込まれた草の緑の先に、無機質な鉄筋コンクリートの建物が6棟、円柱の排気塔5基が残る。老朽化で倒壊の恐れがあることから建物の周囲はロープが張られていた。大きな窓枠からは、床に散らばったコンクリート片や、青々とした葉が茂る木が見えた。

 環境省などの調査によると、嘔吐(おうと)性のある「あか弾」や、皮膚や目に付くと激痛が生じる「きい弾」などが約150万発製造されたという。2000年には、約7キロ離れた苅田港の海中から爆弾が引き揚げられた。終戦時に曽根製造所から運ばれて海中投棄されたとみられ、後に政府が毒ガス弾であると認定した。

 考古学が専門の西南学院大学・伊藤慎二教授は昨年、旧陸軍毒ガス兵器工場の論文をまとめた。排気方向を工夫した建物の構造や、爆風よけの土塁などを調査。作業員は危険と隣り合わせで、ガス漏れ事故が意識されていた可能性が高いという。

旧陸軍毒ガス兵器工場の跡地に残る、大きな窓枠の建物=2025年5月12日午前10時51分、北九州市小倉南区、小宮路勝撮影

 伊藤教授は「(曽根製造所は)兵器工場の主要な建物や敷地の全体像が残る国内最大級の戦争遺跡。毒ガス弾は実際に中国で多量に使用された。被害だけでない、戦争全体を考えて学ぶ次世代の平和学習のために残してほしい」と話す。

 管理する駐屯地は旧毒ガス工場について、「訓練場の安全確保や有効利用のため、建物の取り壊しを九州防衛局に要望している」という。

【動画】空から見た戦跡 北九州の「旧陸軍の毒ガス兵器工場」=小宮路勝、日吉健吾撮影

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