4月上旬、東海地方に広がる畑で、男性(55)はホウレン草の収穫に追われていた。脱サラして農業を始めたのは約5年前。それと引き換えに、24年間連れ添った妻と離婚し、一人息子の親権も失った。
「やりたいことを優先する人生を歩んできた。元妻からすれば、バカヤロウでしょうけど」
男性はそう話す。「ゴーイング・マイウェー」の始まりは、元妻と結婚して間もない20代半ばの頃にさかのぼる。
名古屋の私大を中退。数社に勤めた後、学習塾を起こして独立しようと考えたが、それが元妻の安定志向を逆なでした。「勝手に決めんな」。そう言い残し、実家に帰ってしまった。
義父母も同席する場で経営計画を説明し、何とか開業にこぎ着けた。「合格実績より、人づくり」。そんな方針を掲げ、生徒は順調に増えたが、30代初めにやらかした「しくじり」が、元妻との間に致命的な亀裂を生んだ。
息子を妊娠中、元妻が子宮筋腫などを発症し、入院した。いま思えば休みの日ぐらい、お見舞いに行くべきだった。だが当時は仕事のストレスもあって、趣味の釣りを優先し、大物が釣れると評判の漁港に通った。
退院後、元妻は家に戻らず、また実家に帰った。両家の親が顔をそろえた「おわびの会」で、こう言われた。「死ねばいいのに」。それから約8年、別居が続いた。
シリーズ【熟年離婚のリアル】、次回は5月6日夕方配信予定です。「熟年婚活」の実態に迫ります
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