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 長年、「死刑囚」として暮らしてきた袴田巌さん(88)に9月、再審無罪の判決が言い渡され、10月9日に確定しました。朝日新聞の取材班10人は、再審判決の前に改めて事件の問題点を取材し、連載「なぜ死刑囚にされたのか 袴田さん事件の58年」(全14回)を執筆・配信しました。取材班の田中恭太記者が取材経緯を振り返ります。

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58年前の事件、関係者をたどった

 誤りは正された。でも、課題は山積している。

 袴田巌さん(88)の無罪が確定した今、そんな思いを抱く。

 事件発生からの58年間をたどる取材を、東京、名古屋、大阪、静岡の記者10人で今春から進めてきた。

 死刑囚との立場が覆る可能性が高い異例の事態だ。

 当時の捜査や司法の判断の内幕はどんなものだったのか。「証拠捏造(ねつぞう)」の実態は? 再審開始決定や無罪判決はもっと早く出せなかったのか。再審が始まり、関係者は何を思うのか。

 疑問をノートに書き出し、膨大な裁判や捜査の記録、過去の取材資料を読み込んだ。事件関係者をリストにし、居場所の手がかりが見つかった170人の行方を、聞き込みを重ね、手紙も書いて追った。

 たどり着けたのは110人ほど。半数以上は他界していた。高齢で話ができない人も少なくなかった。「生きていたら取材に協力したいと思っただろう。今は資料もなくなってしまった」。ある事件関係者の親族は無念そうに語った。

 予想はしたが、やはり取材は難しかった。

 記者の基本は、当事者に相対し話を聞くこと。誤りを正すのに時がかかりすぎれば、事件の真相解明や検証は困難になるという当たり前のことを痛感した。

見えた問題点、「昔の話」じゃない

 一方で、話を聞くことができた高齢の元県警職員や捜査を受けた人たちの証言などから問題点も見えた。

 一つは、自白獲得に偏った1966年当時の捜査だ。近年も警察や検察の威圧的な取り調べが各地の民事訴訟で問題になっている。私も最近、警察署での密室の取り調べで、虚偽の自白をして起訴された女性を取材し、記事を書いたばかりだ。逮捕当時の袴田さんが、その女性と重なった。

 接見や国選弁護制度など、当時に比べ改善された点もある。だが、多くの国で認められている取調室での弁護人の立ち会いは、日本では今も実現していない。

 今回のように審理が長期化しがちな再審制度の見直しも急務だ。

 人権を傷つけるような60年代の記事から、あるべき報道も考えさせられた。捜査側の情報に依拠し、思考まで同調すれば、事実を見誤る恐れは今もある。

 「現代と地続きだ」。取材班はそう感じた。

 第2の袴田さん事件は起きるかもしれない。防ぐにはどうすべきか――。常に考えながら今後も問い続けたい。(国際報道部(前東京社会部) 田中恭太)

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記者のプロフィール

 たなか・きょうた 2013年入社。東京社会部では公正取引委員会や裁判を担当した。袴田さんの釈放は記者1年目の終わりのころ。まさか、その後10年間も裁判が続き、自分が連載を担当するとは思わなかった。10月から国際報道部所属。

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