中部太平洋のマーシャル諸島は戦前、日本が統治していました。米国は戦後、国連から信託統治を任された同国のビキニ環礁などで計67回の核実験を行いました。諸島は1986年に独立しましたが、米国と経済・安全保障に関する自由連合盟約も結んでいます。相馬弘尚・駐マーシャル諸島大使は「歴史や核問題を超えて、海でつながる隣国と真摯(しんし)に向き合っていく必要があるのではないか」と語ります。

  • 故郷を破壊した米国、その金が生活の支え 核廃絶と安保のはざまの島
相馬弘尚駐マーシャル諸島大使(左から2人目)=在マーシャル諸島日本大使館提供

約30年続いた日本統治

 ――マーシャル諸島は日本統治時代、「日本最東端の島」と呼ばれていました。

 日本は14年にマーシャル諸島を占領後、実質的には44年まで統治していました。首都があるマジュロ環礁には、大正天皇が台風被害の復興のために私費を投じたことに感謝する「聖恩紀念碑」や、戦没者を悼む「東太平洋戦没者の碑」もあります。(南洋群島で製糖や水産、鉱業などを手掛けた)南洋興発による工場の設置のほか、学校や上下水道などインフラ施設の整備も行いました。

 一方、44年1月にはクワジェリン環礁などで日米両軍が戦い、多くの死者が出ました。諸島の人々は戦闘前に別の場所に避難したとされましたが、一部には犠牲者も出ています。

 ――54年3月のビキニ環礁での水爆実験では、日本の漁船員が被曝(ひばく)する「第五福竜丸事件」も起きました。

 米国はビキニ環礁とエニウェトク環礁で67回の核実験を行いました。住民たちは強制的に他の場所に移住させられていましたが、除染作業後に戻ったビキニ環礁の住民の一部が被曝しました。また、実験当時、近くにあるロンゲラップ環礁の人々も被曝しています。

 このため、人々には根強い反核の感情があります。マーシャル諸島の国会は2023年3月、日本による福島第一原発の処理水の海洋放出計画に深い懸念を表明する決議を可決しました。

 一方、自由連合盟約によって、マーシャル諸島の人々は労働ビザなしに米国で働けます。盟約による補助金は国家予算のほぼ半分を占めています。米国との関係は特別です。戦略的に、クワジェリン環礁にある米軍基地は重要な役割を果たしており、米国による核抑止の恩恵も受けていると言えます。

相馬弘尚駐マーシャル諸島大使=在マーシャル諸島日本大使館提供

「非核運動の象徴」でもあり、「親日国家」でもある

 ――日本では、人によって…

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