核実験で被曝(ひばく)した元フランス軍兵士のジェラール・デラックさん(左)と妻のアルレットさん=2025年7月23日、仏南西部トゥールーズ近郊、宋光祐撮影

 「ボンジュール」。穏やかな表情でソファに座るジェラール・デラックさん(87)は記者のあいさつに、笑顔と握手で応じてくれた。フランス南西部の村モンカブリエ。一緒に暮らす妻のアルレットさん(83)によると、デラックさんは認知症を患っており、今は自分から言葉を発することがほとんどないという。

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 1960年2月13日。デラックさんは兵士として、フランスの植民地だったアルジェリアのサハラ砂漠での仏政府による初の核実験に参加した。爆発後の放射線を測定するため、原子爆弾を設置した塔の周囲100キロ圏内に観測機器を設置することが任務だった。

 数日後、爆発で地面にできたクレーターまで上官を車で運んだ。深さ数メートルの穴の縁に車を止めて2人で爆心まで歩き、国旗を立てた。後になってその行動が上官の独断だと分かったが、デラックさんは後悔しなかった。アルレットさんは「夫は核実験で国の役に立てたことを誇りにしていた」と振り返る。

フランス軍兵士だった頃のジェラール・デラックさんの写真=2025年7月23日、仏南西部トゥールーズ近郊、宋光祐撮影

 当時のドゴール大統領がデラックさんの参加した初めての核実験に踏み切った背景には、ソ連の脅威だけでなく、米国の「核の傘」への不信感があった。1963年の演説では「米ソ2大国が核を使うかは誰にも分からない。不確実性を踏まえれば、他国が保有をやめない限り、フランスはその時代最強の兵器を持つ必要がある」と訴えた。

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