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台湾で活動する香港辺城青年の馮詔天秘書長=2024年6月25日、台北、高田正幸撮影
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 6月4日夜、台北市中心部の中正記念堂前の広場にともるライトが並んでいた。かたどられていたのは「8964」の文字だ。

 1989年6月4日、北京で民主化を求める学生たちを中国軍が弾圧した天安門事件から35年を迎えたこの日、犠牲者を追悼する集会が開かれていた。

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 その中に、香港出身のアーティストの黄国才さん(54)の姿もあった。会場で「思い出したくない 忘れられない」と書かれた黒い旗を掲げて、自転車をこいでまわった。黄さんの表現活動の一つだ。

 「一国二制度」のもと中国本土とは異なる言論空間を享受していた香港で、5年前まで天安門事件の大規模な追悼集会が毎年開かれてきた。天安門事件の記憶を引き継いでいく活動は、言論の自由の象徴でもあった。

 だが、2020年に施行された香港国家安全維持法(国安法)がその「自由都市」を変えた。中国や香港政府に批判的な言論活動は厳しく取り締まられるようになり、香港も天安門事件を公に語れない場所になってしまった。

 それでも民主的価値観の必要性を訴え、香港を離れて声を上げ続ける人びともいる。

 21年に台湾に渡った黄さんもそうした一人だ。

 21年2月、香港の立法会(議会)の元議員ら民主派47人が政権転覆を図ったとして国安法違反の罪で起訴された事件がきっかけだった。47人は立法会で過半数を獲得し、政府の予算案を否決しようとしていた。議会制民主主義でごく当たり前であるはずの活動が、「政権転覆行為にあたる」と判断された。

 黄さんは香港の根幹にあった「法の支配」が崩れてしまったような感覚に襲われ、香港から離れることを決めた。

 逃げたわけではない。「香港は中国共産党に倒された。次に台湾が陥落すれば、次はフィリピン、日本、韓国かもしれない。だから台湾で暮らす選択は、民主主義と自由を守る戦いの最前線にとどまることだ」と話す。

 現在は妻と台中市で暮らす。以前は香港の住宅問題など社会問題をテーマにした作品が多かったが、今意識しているのは「芸術や文化を通じて、より多くの人々を抵抗に目覚めさせること」だという。今後は日本やオーストラリアに出かけて自由や民主主義を訴える活動に参加するつもりだ。

 ただ、香港外での暮らしが長くなった人びとの間では、新たな問題も浮かび上がってきている。

 台湾で暮らす香港の若者らが立ち上げたグループ、香港辺城青年の馮詔天秘書長は「台湾の香港人は非常に不安定な身分だ」と話す。

日本国籍を取得した人もいますが、様々な壁に直面しています。彼らが日本政府や私たちに求めていることは、どんなことでしょうか。記事後半でお伝えします。

いつまでここで暮らせるのか

 台湾当局によると、台湾で一…

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