画家・陳澄波(チェンチェンポー)(1895~1947)の生誕130年記念展覧会が、昨年12月から今年5月まで、台北で開かれた。東京美術学校(現・東京芸術大)で学び、台湾出身の画家として初めて「帝国美術院展覧会」で入選。台湾画壇の「モダニズムの父」とも呼ばれるが、戦後、大陸から来た国民党軍に処刑された悲劇の画家だ。
目玉の一つは、山口県防府市が貸し出した油絵「東台湾臨海道路」(1930)。台湾総督府が整備した海岸の道を、原住民族の衣装を着て歩く親子の姿が描かれている。
絵の制作を依頼したのは、防府出身の第11代台湾総督、上山(かみやま)満之進(みつのしん)(1869~1938)。陳の孫の陳立栢(チェンリーボー)(72)によれば、依頼は新聞記事になるほど注目された。陳は当時、上海の学校で教えていたが、「わざわざ台湾に帰ってきました」という。
上山は異色の総督だ。総督府文書を研究する中京大名誉教授の桧山幸夫(76)は「総督府の官僚は台湾人を見下していた。あれだけ『差別するな』と言った総督は上山くらいでは」と見る。
「台湾をゆく 明治維新から敗戦まで」 (2)上山満之進
長州藩・山口県出身者が関わった日本の台湾統治を振り返る連載。2回目は文官総督と、彼の依頼で絵を描いた画家の運命を見ます。
日本軍や当局による弾圧や…