避難所に残ったメンバーで「のろし復旧・復興会議」が始まった=2024年1月14日、石川県珠洲市狼煙町、馬場千遥さん提供

 元日の能登半島地震からまもなく2週間となる1月14日。岸田文雄首相(当時)が初めて被災地を訪れ、この地震を「非常災害」に指定する方針を表明した。

 このとき、石川県珠洲市など3市町の15集落で孤立が続き、体育館や集会所などの1次避難所に1万9千人余りが身を寄せていた。

 避難所の一つ、能登半島の先端にある、珠洲市狼煙(のろし)町の集会所。

 この日、ここで寝泊まりする15人の住民が初めての「復興会議」を開いた。

【連載初回はこちら】避難所で始めた「復興会議」

能登半島の先端にある「狼煙」集落。地震で傷つき、まちの再生に向けて模索を続けた住民たちの1年を追います。

 配られたレジュメには、こう記されている。

 「奥能登全体が消滅するような大きな被害ですが、全国の人が応援してくれています」

 「多くの人の力を借りるには、狼煙町のやる気と行動が必要です」

1月14日に糸矢敏夫区長がつくった「復興会議」のレジュメには、「狼煙町のやる気と行動が必要です」とつづられている

 会議を招集し、レジュメを書いたのは、区長の糸矢敏夫さん(69)。人口ちょうど100人、平均年齢68.3歳の「超高齢化」の集落。この3日前、集落の中でも特に高齢の住民と付き添いの計30人を石川県南部の旅館に2次避難させていた。2日前には、集会所の電気が復旧した。

 さあ、これから何をしていこうか。糸矢さんは前向きな気持ちになっていた。

 復興会議では、水道などの生活インフラと漁業や農業などの産業インフラそれぞれに、復旧に向けてどんな課題があるかを住民たちで話し合った。

 これからどうやって新たな「なりわい」をつくるか、どうやって人を呼び込んでいくのかも考えていこうと確かめ合った。

 「復興の話の前に、まず復旧やろ」

 「いまのうちから夢物語を言っとかんと、ダメねんて」

 「でも、無理やろな」

 「そんなこと言っとったら…

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