連載「石に魅せられて」
技術者は自らつくる半導体を「石」と呼ぶ。半導体の材料となるシリコンが珪石からつくられるためかもしれないが、実際のところはわからない。石に魅せられた日本の技術者たちは、かつて築き上げた半導体王国の絶頂と転落に何を見ていたのか。石にかけた、彼らの生き様を追う。(敬称略)
日本経済が高度成長を遂げていた1962年、池田勇人首相はフランスを訪れ、エリゼ宮殿でド・ゴール大統領と会談した。
ソニーのトランジスタ・ラジオを熱心にアピールする池田を、ド・ゴールは「トランジスタのセールスマン」と評したとされる。
47年に米国で発明されたトランジスタは「最初の半導体」だ。それまでは電気の制御に大きな「真空管」という装置が使われていたが、手のひらに乗るほどの小さなトランジスタが取って代わった。トランジスタを配線でつなげることでIC(集積回路)もつくられる。半導体産業80年の歴史の始まりだ。
家に据え置く大きさだったラジオは、トランジスタの採用で持ち運びができるようになり、人々の生活を一変させた。日本の電機産業の幕開けだった。
「米国の半導体を持ち帰れ」
池田の訪仏と同じ年、三菱電機の半導体部門にいた小宮啓義(87)は、米パデュー大学への留学を命じられた。九州大を出てまもない、26歳の時だ。小宮に託されたミッションは「米国から新しい半導体を持ち帰る」。ただ一つだった。
日本電機メーカーの芽が出始めたとはいえ、半導体研究の本場は、依然として米国。小宮の勤める三菱電機は、米国企業から技術提供を受けていた。
小宮は半導体の学会があると聞けば駆けつけ、発表内容は漏らさずノートに書き残した。
小宮のような留学生はたくさんいた。日本人がプロジェクターで映し出される資料をカメラで全て撮影するため、会場にはシャッター音が響き渡っていた。そんな逸話も残る。
留学先の大学には軍の資金が入っていて、資金量は日本を圧倒していた。軍関係者をキャンパスで見かけることもあり、半導体が国家の安全保障を決定づけるということを肌で感じた。
小宮は帰国後、ある国家プロジェクトに関わる。
「超LSI技術研究組合」…