中学時代に不登校を経験した映像作家の田中健太さん(32)。自身の母校を舞台に撮影したドキュメンタリー映画「風たちの学校」が今年、公開されました。不登校だったときや高校時代の経験がいまの仕事につながっていると話します。
◆
中学時代の3年間、不登校でした。きっかけはささいなことです。小学校の卒業式の前日、友だちとけんかをして、右手を骨折したんです。
友だちとはすぐに仲直りしました。ただ、中学入学直後、けがのため、体育の授業は見学だし、先生や友だちにも気を使われておっくうでした。それでちょっと休もうかなって。それが1日、2日と延びて3年間になっていた感じです。
当時は、学校に行くのは「当たり前」でした。母も最初は学校に行ってほしいと思っていたと思います。朝、起こしに来るけど、僕は布団から出られない。そんなやりとりを3カ月ほど続け、母は「学校に行きなさい」とは言わなくなりました。
ドラマを見て過ごした
ただ、自分自身が「学校に行けない自分はダメだ」と思っていました。勉強はもちろん、「この後、自分はどうやって生きていくんだろう」という不安がずっとありましたね。
その頃は、だいたい深夜1、2時に寝て、昼ごろに起きる生活でした。テレビをつけると、ワイドショーの後に昔のドラマの再放送がある。90年代の「GTO」や「踊る大捜査線」の再放送を見るようになりました。
それがおもしろくて。母に近所のTSUTAYAで連続ドラマのDVDをたくさん借りてきてもらって、ひたすら見ていました。
進路について考えたとき、地元の教育センターから紹介されたのが愛知県の私立黄柳野(つげの)高校です。不登校といった様々なバックグラウンドを抱えた生徒が全国から集まる全寮制の高校です。
ずっと家にいたのに寮生活ができるのかな、と思いましたが、「このままじゃいけない」という気持ちが強かった。中3の2月に見学に行くことにしました。
「ここなら」という直感
大阪から新幹線と在来線を乗り継ぎ、最寄り駅から20分ほどタクシーに乗って、山間部にある高校の玄関口に降り立ちました。その瞬間に吹き抜けた風が、気持ちよかったんです。「ここならやっていけるかも」と感じました。
最初は同年代の子との共同生活は心配でした。でも、自分と近い感情を持っている子が多く、思いを共有できたし、高校生活は楽しかったです。
高校では映画鑑賞部に入り、3年生のとき、友だちとお金を出し合ってカメラを買って映画を撮り始めました。将来は映像関係の仕事につきたいと考えるようになり、大阪芸術大学映像学科に進みました。「大学に行きたい」と思えたことで一歩を踏み出すことができ、実際に進学し、自信にもなりました。
「風たちの学校」は、学生だった2013年から5年ほどかけて撮影しました。学生時代に取り組んだ別の作品で接した子どもが、不登校を経験した自分に重なり、母校を舞台にした作品を撮ることにしたんです。
通っているうちに、自分から深い話をしてくれる子が出てきました。それがメインで登場する2人の生徒です。
自信を持っていい
撮影を通して、先生や寮のスタッフが、ありのままの生徒を認めようと、意識して接しているのがわかりました。
高校に入学した頃は「自分はダメなやつだ」と思っていました。それが、高校で先生や友人にありのままの自分を受け入れてもらって、前に進むことができたんだな、とあらためて感謝しました。
もっと、学校に行っている子も行っていない子も、フラットな目で見られる社会になってほしいと感じます。そんな社会なら、少なくとも中学生の自分はあんなに苦しまなくてすんだんじゃないかな。
一方で、中学には行かなかったけど、いまの自分は映画を作っているし、生活もできている。そして、結果的に不登校の経験が仕事につながっています。いま、悩んでいる子には「自分に自信を持って」と伝えたいです。
たなか・けんた 1993年、大阪府生まれ。大阪芸術大学で映画監督の原一男氏に指導を受け、卒業制作「ぼくと駄菓子のいえ」で監督デビュー。「風たちの学校」は今年3月から、東京、大阪、広島など各地で上映されている。
主な相談先
【よりそいホットラインチャット】
https://comarigoto.jp/ リアルタイムは午後4~10時
【あなたのいばしょ】
https://talkme.jp/
【#いのちSOS】
0120・061・338 24時間受け付け