イスラエルの軍事作戦で難民キャンプを追われたパレスチナ人のニーダ・アムーリさん(50)
(パレスチナ自治区ヨルダン川西岸での「テロ撲滅」を名目とした)イスラエル軍の作戦で難民キャンプを追われて1カ月半が経ちます。今は南に20キロほど離れたアカバという町に家族7人で身を寄せています。
私の家族は(現在のイスラエル領)北部ハイファ出身ですが、1948年のイスラエル建国の際に多くのパレスチナ人と同様に追い出され、西岸ジェニンに逃れました。私はそこの難民キャンプで生まれ、育ちました。
【連載】イスラエル・パレスチナ 市民の声 ガザ戦闘1年半
イスラム組織ハマスの奇襲と、イスラエル軍のパレスチナ自治区ガザへの攻撃が始まって1年半。約2カ月の停戦を経て戦闘が再開され、終結の道筋は見えないままです。イスラエル、パレスチナの市民の声を聞きました。
- 「生まれた場所から追い出す権利ない」 パレスチナ支援を続ける医師
夫のアハマドも同じ難民キャンプ出身ですが、私たちは7人の子どもを育てた故郷も追われてしまいました。
今年2月26日の午後のこと…