「刑務所に入れば終わりとは思わせたくない。だからせめて声は上げ続けなければと思う」 6月3日、東京の衆院第1議員会館で開かれた天安門事件の追悼集会で、香港の民主派団体元幹部、鄒幸彤氏を追ったドキュメンタリー映画「幸彤在監獄」(彼女は監獄にいる)が上映され、作品中の鄒氏の言葉が会場に響いた。
香港では、大規模な天安門事件の追悼集会が「香港市民支援愛国民主運動連合会」(支連会)の主催で毎年開かれてきた。しかし、2020年に施行された香港国家安全維持法(国安法)によって、香港の追悼集会は徹底的に封じ込められた。
【連載】灯火(ともしび)はいま 天安門事件35年
天安門事件から35年。中国、香港では事件がタブーとなる中、日本で追悼集会に集う中国出身の若者たちがいます。彼らはどう事件と出会い、なぜ弔うのか。世代を超えて事件と向き合い、葛藤する姿を追います。
支連会などの活動は厳しく取り締まられ、同会の副主席だった鄒氏は、21年も公園で追悼すると表明したことが公安条例違反にあたるとして同年6月4日に、逮捕され、禁錮1年3カ月の実刑判決が下された。
映画は、制作関係者が摘発されるリスクがあるため、匿名で撮影・編集されたもので、世界で上映されている。
この日の集会の呼びかけ人の一人、賈葭さん(43)は、「香港の言論の自由は大きく傷つけられ、天安門事件の記憶を受け継ぐという役割を果たせなくなってしまった」と語る。
中国国営新華社通信傘下の週刊誌などの編集に携わり、作家・コラムニストとしても活躍していたが、2年半前に来日した。現在は東京大学の客員研究員を務める。
メディアは「中国共産党ののどと舌」。そう言われる中国で取材活動を行ってきた賈さんは、自分が「伝えたいこと」と、党から求められる「伝えてはならないこと」をめぐって葛藤してきた。
そのテーマの一つが、天安門事件だった。
賈さんは中国メディアの勤務当時、事件の真相に迫る一方で、様々な制約を感じて苦悩します。
矛盾に悩む日々、変えた香港
事件が起きた1989年6月…