1998年、英国を訪問した当時の天皇・皇后両陛下(現・上皇さま、上皇后さま)の馬車に対し、背を向けて抗議をした人たちがいました。太平洋戦争中、旧日本軍の収容所に入れられた元捕虜らです。過酷な経験から戦後心の傷に苦しんだ人々の調査をし、「戦争トラウマ記憶のオーラルヒストリー」(日本評論社)を著した中尾知代・岡山大准教授に、海外に残る「日本によるトラウマ」について聞きました。
太平洋戦争の元捕虜を苦しめた戦争トラウマ
――英米やオランダなどで、元捕虜や民間人抑留者の聞き取り調査を長年してきたそうですね。
1990年代から調査を始め、記録時間は800時間を超えました。中でも、香港で捕虜になった元英兵から聞いた話が特に印象的で、胸が痛みます。
彼は、日本本土へ向かう移送船に乗せられました。船内はすし詰めで、トイレ代わりのバケツはあふれ、水も食べ物もわずか。元捕虜らは「地獄船(ヘルシップ)」と呼びました。
船が米潜水艦の攻撃で東シナ海で沈みかけた際、日本軍は船倉の出口をふさぎ、こじ開けようとした捕虜を撃ちました。この「りすぼん丸事件」で、移送中の英軍捕虜約1800人のうち800人以上が溺死(できし)したり射殺されたりしました。
男性は生き延び、おいが溺れ死にました。
調査中、男性は笑みすら浮かべて淡々と話していました。ところが「あれから私の人生はノーマルには戻らない」と言った瞬間、過呼吸になりソファに泣き崩れました。
船倉で見捨てられた痛みや亡くなった者への罪責感などで、何十年後も苦しんでいたのです。
妻を日本兵と思い込み
――日本軍の捕虜の扱いは厳しかったと言われています。
極東国際軍事裁判(東京裁判)の記録では、日本軍管轄下の連合国軍捕虜は、英米豪やオランダなど計13万人以上。うち27%が死亡しました。ドイツ軍管轄の捕虜死亡率4%と比べて極めて高い。
多くの元捕虜が「突然殴られる」などと証言し、見せしめの拷問や集団罰も捕虜を苦しめました。労働環境も厳しく、「死の鉄道」として有名な泰緬(たいめん)鉄道(タイ、ミャンマー)の建設現場などで多くの死者が出ました。
日本兵の残虐行為の傷は、どのように虐待やDVという形で被害者の子孫に受け継がれたのか。研究で明らかになります。
――元捕虜らはどんな戦後を生きたのですか。
心身の障害が残り、PTSD…