沖縄戦で亡くなった第2護郷隊の戦友たちを思い、慰霊碑に手を合わせる瑞慶山良光さん=2025年5月25日、沖縄県恩納村、大久保真紀撮影

 「兵隊幽霊」と呼ばれた人がいる。

 沖縄県大宜味村で暮らす瑞慶山良光(ずけやまよしみつ)さん(96)だ。16歳で少年兵として沖縄戦に駆り出された。負傷し、骨と皮になって帰還。2年ほど寝たきりに近い生活を送って回復したが、訳の分からない言葉を大声で発し、奇行を繰り返すようになった。

 夜中に山の中を駆け回る。浜辺に行って真っ裸になって海に飛び込む。ほふく前進をして、集落の中を走り回った。

 戦争は終わったのに、頭の中で戦争が続いていた。いつも、誰かに殺されるんじゃないかという恐怖を感じた。

 「誰が僕を動かしているのかは分からない。魂が出たり入ったりしているようだった」

  • 「鉄の暴風」でみんないなくなった 恋に落ちた先の新たな地獄

 親類たちが自宅に「座敷牢」を作り、そこに10日ほど監禁された。さらに精神科病院に送られ、独房のような部屋に約2週間閉じ込められた。

 そんな姿を、周囲は「兵隊幽霊」と呼んだ。

 戦争が始まる前、瑞慶山さんは日本の勝利を信じる軍国少年だった。

 国民学校を卒業し、青年学校で軍事訓練を受けていた1945年3月1日、役場前に集まるよう学校から指示された。三十数人の少年たちは行き先も分からず歩かされ、約40キロ離れた恩納村の国民学校に到着。そこで「第2護郷隊」に組み込まれた。

箱に入れた髪と爪 「生まれてこなかった方がよかった」

 「護郷隊」は、現地の少年たちを組織したゲリラ部隊のことだ。諜報(ちょうほう)員養成学校として知られる陸軍中野学校出身者らが指揮し、すでに集められていた「第1護郷隊」と合わせて隊員は約1千人。沖縄本島北部の山中にこもり、上陸作戦を展開する米軍を攪乱(かくらん)するのが任務だった。

 瑞慶山さんは「斬り込み隊」に選ばれた。

 3人1組になり、1人が10…

共有
Exit mobile version