日本統治下で栄町通りと呼ばれ、台北で最もにぎやかな商店街だった地域の角地に雑居ビルが立つ。
そこはかつて、台湾初のデパート「菊元(きくもと)百貨店」だった。建物の保存に取り組む「台湾歴史資源経理学会」などは1月まで、その歴史を振り返る企画展を催していた。
菊元百貨店は1932年に開店した。6階建て(のち7階建てに増築)で、当時は台湾総督府に次いで、台北で2番目の高層建築だった。
モダンな消費文化を提供する百貨店は繁盛した。創業者・重田栄治(しげたえいじ)(1877~1958)は手記「思い出草」の中でこう誇っている。
「全台湾、内台人(日本の内地と台湾の人びと)の評判と信用を集め、台湾の一大名所として人気を博したり」
現在の山口県岩国市出身の重田は旧制中学進学をあきらめ、姉の嫁ぎ先の商家「菊元」で奉公した。日露戦争前年、台湾で綿布商「菊元商行」を創業。地元のニーズに合わせた岩国産織物を売って大成功し、温泉開発なども手掛けて財を築いた。
「菊元百貨店」開業の数日後、約300キロ南の台南の中心地に「ハヤシ百貨店」がオープンした。現在は修復されて商業施設「林百貨」となり、観光客らでにぎわう。屋上には神社跡や米軍機の銃撃痕がいまも残る。
「台湾をゆく 明治維新から敗戦まで」 (4)重田栄治
長州藩・山口県出身者が関わった日本の台湾統治を振り返る連載。4回目は台湾が商売でも日本の南進の拠点だったことを描きます。
創業者は山口市出身の呉服商…