JR門司港駅(北九州市門司区)を出て右へ。桟橋通りを歩き、国道3号を渡った先の左手に、入り口が現れる。
長さ280メートルのアーケード商店街「栄町銀天街」。近くの門司港レトロ地区などで「門司みなと祭」が開かれた5月25日、アーケードの一角に展示された写真に見入る人々の姿が見られた。
1957(昭和32)年12月、アーケードの完成を祝い、当時の門司市長らが「通り初め」をする写真。市立門司図書館の協力で開かれた「門司港今昔写真展」の一枚で、通りを埋め尽くす人々の頭上に紙吹雪が舞っている。「この時代の門司港の活況が感じられる」との説明がついていた。
「このお店もあったねえ」。アーケードの両側にびっしりと店が並ぶ銀天街の案内図を指さす女性の姿もあった。
「帽子やバッグの専門店も並んで、おしゃれな人が集まる街でした」。門司港地区の「生き字引」と称される門司郷土会幹事、内山昌子さん(84)は二十歳(はたち)のころ、銀天街で初めてハイヒールを買ったという。
門司港レトロ地区がグランドオープンした1995年から5年ほどは、銀天街に設けられた観光案内所で働いた。レトロ地区の観光客を銀天街にも呼び込もうと、辺りを食べ歩き、店主の似顔絵を描きながら取材して、案内に役立つ情報を集めた。
「本屋さんが4軒ぐらい、文具店も三つぐらいありました。美容院にはおしゃれな人が集まって」。内山さんがそう振り返る銀天街は、シャッターが閉まったままの所が目立つようになって久しい。
門司港レトロ地区には年間200万を超える人が訪れる。「3号線を越えて、観光客や買い物客に、どうこちら側へ来てもらうか、ですね」。明治時代から続くという和菓子店「柳月堂」の3代目、石井基治さん(63)はそう話す。
旧国鉄時代の鉄道グッズのコレクションでも知られる石井さんの店の前には今春から、主に木曜日にキッチンカーが並ぶようになった。
銀天街の道路(市道)は今年2月、路上にテーブルやキッチンカーを並べてにぎわいづくりができる「歩行者利便増進道路」(通称ほこみち)に認定された。
6月の金曜日の夕方からは、ほこみち制度を活用した路上ビアガーデンの催しも。「乾杯!」。初日の6日には、催しの始まりを祝う声がアーケードに響いた。
「どんどんイベントを打って、レトロ地区から人がやって来る動線をつくりたい」と、門司港栄町商店街振興組合の理事で酒店を営む島田一輝さん(47)。「キッチンカーの出店者に、ゆくゆくは空き店舗に入ってもらえたら」
銀天街がにぎわう夢が膨らむ。