知覧特攻平和会館に展示されている特攻隊員たちの遺影や遺書=2025年7月10日午後2時41分、鹿児島県南九州市知覧町郡、平川仁撮影

 国を、家族を守るため、命を捨てた――。特攻隊員の遺影や遺書が、人々の心を震わせている。その記憶から、「影」の部分が薄らいでいないか。

 壁一面に、二十歳前後の若者たちの遺影が並ぶ。

 7月中旬、鹿児島県南九州市の知覧にある知覧特攻平和会館は、多くの見学者でにぎわっていた。

 〈只今(ただいま)より出撃致(いた)します。実に喜び勇んで居(お)ります〉

 〈天皇陛下万歳〉

特攻(特別攻撃)

 航空機などで乗員ごと体当たりする自殺攻撃。日本軍の戦況が悪化した1944年10月、フィリピンでの戦いで初めて「神風特別攻撃隊」が米艦に突入し、45年春からの沖縄戦では九州や台湾各地から特攻隊が出撃した。人間魚雷「回天」といった特攻兵器も作られ、約6千人が戦死したといわれる。

 東京都の商社員(33)は、端正な文字が並ぶ遺書にじっくり見入っていた。2回目の訪問という。

 昨年訪れた時に「今の日本人にはない覚悟」を感じ、大学進学も就職も「行き当たりばったり」で決めていた自分に気付いた。この1年で社内での新規事業を立ち上げるなど、生き方や仕事への向き合い方が変わったという。

 「家族や国を思って命を捧げた姿に感銘を受けた。自分も一生懸命生きなきゃ、と思える」

 特攻は、特別攻撃の略。航空機や人間魚雷などで体当たりし、生きては帰れない作戦だ。

 太平洋戦争末期、知覧は陸軍最大の特攻出撃基地だった。平和会館は知覧飛行場の跡地にあり、多い年で70万人が訪れる。

知覧特攻平和会館の館内。「死ね大空で」などと寄せ書きされた日の丸や、映画のためにつくられた特攻機のレプリカが展示されている=2025年7月10日午後2時43分、鹿児島県南九州市知覧町郡、平川仁撮影

 展示は遺書、遺品、遺影が中心で、隊員たちの心情にフォーカスする。特攻隊員たちは自ら志願した、との説明もある。

 八巻聡学芸員(49)は「元々は博物館というより、神社仏閣の一部のような施設だった」と話す。

 戦時中は「軍神」「神鷲」な…

共有
Exit mobile version