つむぐ 被爆者3564人アンケート 金花子さん(84)
夏が近づくたびに体調が悪くなり、気が沈む。広島県呉市に住む金花子(キムフャジャ)さん(84)は「やっぱし原爆のイメージがわいて。食欲が落ちてもう何も食べたくない。体もだるいし」と話す。あの夏の日から変わらない。
朝鮮半島の釜山から日本へ渡った両親のもと、1940年に大阪で生まれた。1歳の頃、両親は一家で故国に帰ろうとしたが、金さんが熱を出して乗船できなかったと後に聞かされた。父の仕事の関係で、2歳の頃に広島に移り住んだ。
間もなく5歳になる45年8月6日朝、父が出かけるのを見送り、自宅には母と弟、妹といた。母が電灯に布をかぶせた瞬間、ピカッと閃光(せんこう)がはしったかと思うと、辺りが真っ暗闇になった。
被爆したのは爆心地から約2キロ。屋内にいたためやけどはしなかったが、しばらくは頭痛とめまいがひどく、食欲もなかった。母が作ってくれたおかゆをやっと口に入れたが、大好きなはずの梅干しがのどを通らなかった。髪の毛がごっそりと抜け落ちた。
幼い時から日本名の「金田花子」を名乗っていた。両親は家の中でも日本語で話し、出自を意識することはなかった。
小学校高学年の頃、同級生の…