戦争中、不要だと排除されかけたものが戦後、人々の希望になった。その物語は今も子どもたちに語り継がれている。
《ぞうれっしゃよいそげ 空をかけて走れ》
7月下旬、山梨県上野原市のコミュニティセンター。幼稚園児から70代までの12人が合唱の練習に励んでいた。
歌っていたのは、合唱曲「ぞうれっしゃがやってきた」。
戦時中、全国の動物園で動物が殺処分されるなか、名古屋市の東山動物園(現・東山動植物園)では園長らの手によって、2頭のゾウが生き延びた。戦後、特別仕立ての「ゾウ列車」が走り、全国の子どもたちが2頭に会いに来た、という実話がもとになっている。
「ゾウ列車」
終戦時、全国の動物園で生き残ったゾウは、東山動物園の2頭と京都市動物園の1頭だけだった。京都のゾウも間もなく死に、しばらくの間、国内でゾウが見られるのは名古屋だけだった。1949年、東京の子どもたちから「ゾウを1頭貸してほしい」という要望が東山動物園に寄せられたが、2頭を引き離せず、各地の子どもたちを名古屋に運ぶことを国鉄などと計画した。同年6月から秋までに1万人以上がゾウ列車に乗ったとされる。
この物語に光を当てたのは一人の教師だった。
名古屋市立小学校教諭だった小出隆司さん(86)。1975年のある日、1年生の教え子たちに、戦時中の東京・上野動物園で餓死させられたゾウを題材にした絵本「かわいそうなぞう」を読み聞かせると、泣き出してしまった。
「名古屋のゾウは生き残ったんだよ」
とっさに東山動物園の話をすると、「もっと教えて」とせがまれた。
名古屋出身の小出さんだが、ゾウが助かった経緯は知らなかった。調べても、資料はほとんど見つからない。学校では子どもたちが期待するように「まだ?」と聞いてくる。
電話帳をめくり、当時を知る元園長の北王英一さんを訪ねた。
だが北王さんの口は、重かった。そんな様子を見て、北王さんの妻が言った。「そういえば、このごろは、夜うなされなくなってきましたね」
東山動物園は43年、名古屋市長からの指示で、ライオンとヒグマを殺処分した。上野動物園や大阪市立動物園(現・天王寺動物園)などでも「空襲でおりが壊れて逃げ出すと危険」として、殺処分が行われていた。44年には名古屋市内への空襲が本格化し、当時の内務省の命令でヒョウやトラ、クマも殺した。
ツキノワグマは北王さんが近…