Smiley face
写真・図版
親になる⑥女性カップルと法案
  • 写真・図版

 精子提供を受けての生殖補助医療の対象が「法律上の夫婦」に限られる見込みの「特定生殖補助医療法案」。医療技術の対象者に「線引き」をするような立法は、憲法で保障された基本的人権の観点から問題はないのか。名古屋大学の大河内美紀教授(憲法学)に聞いた。

  • 【そもそも解説】「特定生殖補助医療法案」国会に提出 何が変わる?

 ――女性同士のカップルなどの当事者団体は、この法案が「生殖の権利を奪う」と反対しています。そもそも、この権利はどのような人権なのでしょう。

 1990年代に国際的に保障すべき人権として確立された「リプロダクティブライツ=生殖に関する権利」の一部として考えられます。

 もともとは、1994年にエジプトで開催された国際会議で提唱され、広く知られるようになったもので、すべてのカップルや個人が、子どもを持つ時期や数などを自ら決められ、必要な情報にアクセスできる権利と説明されます。

 ――女性同士のカップルの場合、そもそも当人たちの間で子どもが生めません。その場合も、この権利はあると言えるのでしょうか。

 難しい質問です。

 まず、この権利の構成要素の一つに、「科学的進歩の恩恵を享受する権利」が含まれるとされています。

 これは、もともとは避妊や中絶のための医療技術へのアクセスという文脈で出てきたものですが、現在では、生殖補助医療へのアクセスを含む概念として使われています。

 なので、性的指向に関係なく、生殖補助医療を受ける権利はあるか?と問われれば、大きな意味ではそうだと言えます。

 ただし、権利があると言えても、そこから直ちに、第三者の精子を使った生殖補助医療という個別の技術について答えが出せるわけではありません。

 ――どういうことでしょう。

 たとえば、「表現の自由」が保障されていても、わいせつ物を公然と頒布することが刑法で罪となっているように、いつでも誰でも、どんな表現でも許されているわけではありません。

 権利があるということと、それが制限されないということはイコールではないということです。他の権利とぶつかる場合などに必要最小限度の制約が課されることは、必然の前提となっています。

 生殖補助医療に限らず、どんな科学技術でも100%使える、できることは何でもやっていい、というわけでもありません。法案のように、「ある範囲の人だけが、その技術を利用できる」と考える整理の仕方は十分にあり得ます。

当事者の声、何より重要

 ――日本の憲法学の知見から、現状をどう整理できるのでしょうか。

 生殖補助医療の利用は、これまで医学界の自主規制に委ねられてきたこともあって、残念ながら憲法学は十分な議論を積み上げてきていません。

 生殖に関する権利が「自己決定権」に含まれることについては、20年前くらいからほぼ共通の理解となっています。

 しかし、その先の具体的な制約の幅に関する議論が進んでいません。その当時は、今回問われているような技術をめぐる問題はほとんど出てきていませんでした。

 そのため、精子提供での生殖補助医療を受ける権利は、どのような対象まで認められるか、という問いについて確立した答えが提示できません。

 これから法の世界がきちんと議論していかなければいけない領域だと感じています。

 ――「権利を認めてほしい」と考える当事者に、できることはあるのでしょうか。

 いま憲法上確立している人権も、歴史的にみれば、まず侵害されている状況があって、「それはおかしい」と人々が声をあげ、その状況を克服するために権利がうたわれ、獲得されてきたものです。

 法の世界で、生殖補助医療を受ける権利の内容が明確になっていないからこそ、当事者の声が何より重要です。

 あげられた声をしっかり受け止めて、それをどのように権利として形づくっていくか、司法や学界の側が問われることになります。

婚姻の本質は?問われる「線引き」の理由

 ――視点を変えて、国民は信条や性別などによって差別されない、とした憲法14条の「法の下の平等」の問題としては考えられないのでしょうか。

 その観点も、もちろん重要です。

 その場合、同性カップルなどについての議論の前に、まずは、異性カップルで事実婚と法律婚を区別する合理性が問われることになるかと思います。

 そのときに、議論のカギになるのが、「婚姻の本質は何か?」という問いです。

 もし、「生殖」が法律婚の本質なら、今回の法案が生殖補助医療の対象を法律婚に限定することに合理性も出てきます。

 しかし、現在、法の世界では「生殖」は法律婚の決定的な要素ではありません。たとえば、同性婚を認めないのは違憲状態だとの判断を示した2023年の福岡地裁判決では、婚姻制度の目的は「共同生活の保護という側面が強くなってきている」としています。

 「生殖」が婚姻の本質ではないのならば、なぜ法律婚だけなのか?という議論をしなければならないはずです。

 ――対象者を限定する理由は、同性カップルへの生殖補助医療は「治療」ではないためとか、親子関係を速やかに確定させる必要があるから、という説明もなされます。

 そのような説明も、「線引き」の理由として成り立つとは思います。

 ただし、考えなければいけないのは、その説明の裏に、本当の理由が隠れていないかです。

 線引きの理由を「治療だから」とか「親子関係を確定させるため」と説明していても、腹の底では、「婚姻の本質はやっぱり生殖だ」と考えているのではないか。「男と女と、その間に生まれた子どもがいるのが家族だ」といった固定観念があるからではないか、と常に問わなければなりません。

 ――仮にこのまま法律ができた場合、「違憲」の法律となる可能性はないのでしょうか。

 裁判所で「違憲」の主張が認められるかどうか、特に生殖の権利については、難しいところです。

 前述のように、生殖に関する権利についての考え方は発展途上です。また、「表現の自由」の例を出したように、制限が一切許されないというわけでもありません。

 唯一絶対の正解が存在するようなものではない以上、立法の裁量は広く認められることになります。

 逆にいえば、裁量が認められているからこそ、国際的な考え方もふまえて、より良くそれを実現する法律をつくることも可能なはずです。

 日本国憲法のもとで、生殖の権利を最大限実現できる法律を作れるのも立法府だけです。私の個人的な意見としては、ぜひそのような立法作業をしてほしいと思っています。

大河内美紀さん

 おおこうち・みのり 1997年名古屋大学法学部卒。2002年同大学大学院法学研究科博士課程後期課程単位取得退学。新潟大学准教授を経て、現職。

共有