ちょうど10年前。原発事故で全町避難を強いられた福島県楢葉町では、避難指示解除を見据えた動きが一歩ずつ進んでいた。
住民が帰還するための課題を探ろうと、町幹部が先行して町に戻り、自宅で暮らし始めた。
当時、放射線対策課長だった青木洋さん(69)もその一人。12月に戻ると「イノシシに何度か遭遇した。夜道は真っ暗」。生活圏の除染は終わり、電気、ガス、上下水道が使えるようになっていた。ただ、一部の街灯や道路も壊れたままで、役場から徒歩での帰宅に懐中電灯は欠かせなかった。
震災前に7700人が住んでいた町の避難指示は、2015年9月に解除された。国が全域に避難指示を出した七つの自治体の中で最も早かった。
特に解除前後、放射線量の国の基準などに基づく「安全」と、住民が心で感じる「安心」の間を埋めることの難しさを痛感する日々だった。除染で線量が下がることを説明し、除染土の仮置き場の用地確保に奔走した。
いま町内には約4460人が暮らす。「避難先に定着すれば戻りづらくなる。早く解除できて良かった」。青木さんは9月まで町の教育長を務め、いまは自宅脇の畑で家庭菜園に精を出す。