つむぐ 被爆者3564人アンケート 佐藤美津紀さん(96)

 「今考えると、原爆の話をする度胸がなかったのかな。でも、自分で動ける間は頑張ってお話ししないと」

 16歳の時に長崎で被爆した佐藤美津紀さん(96)=横浜市港南区=が、自身の体験を人前で語り始めたのはこの5月のこと。被爆時に命からがら持ち出したというそろばんを手に、これからも語り続ける覚悟だ。

【動画】被爆当時に持ち出したというそろばんを手にする佐藤美津紀さん=上田幸一撮影

 その日も勤務先だった逓信院の長崎貯金支局(爆心地から約3キロ)で、伝票の記帳の仕事をしていた。突然、窓から強烈な光が差し込み、爆音と爆風が襲ってきた。天井のシャンデリアが近くの机に落下し、慌てて机の下に潜り込んだ。

 しばらくしてはい出すと、爆風で窓ガラスは全て割れており、棚の前でカードを整理していた職員が奥まで吹き飛ばされていた。ただ、貯金支局が入るビルは鉄筋造りだったことが幸いし、全員が無事だった。ガラスが割れた窓からは、真っ黒い雲が一気に広がっていくのが見えた。

被爆直後の様子を語る佐藤美津紀さん=2025年5月31日、横浜市港南区、上田幸一撮影

 仕事道具で「命の証しみたいに大事にしていた」そろばん一つだけを手に取り、同僚2人とビルの3階から1階へと急いで避難した。

 非常食の大豆が入った袋の山の陰に身を寄せていると、赤ちゃんを背負った女性が外から逃げ込んできた。女性は命が助かったと喜んでいたが、赤ちゃんは衣服が焼けてぼろぼろで、背中が赤くただれていた。

弟が一度だけ語った「死んだ人の海」

 「お母さん、赤ちゃんが。あ…

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