炎上する日本航空の機体。消火活動が続けられた=2024年1月2日午後7時16分、羽田空港、長島一浩撮影
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 東京・羽田空港の滑走路で1月、日本航空(JAL)と海上保安庁の航空機同士が衝突、炎上して5人が死亡した事故で、管制官が警視庁の聴取に「海保機に気付かなかった」という趣旨の話をしていることが捜査関係者への取材で分かった。事故から3カ月。重傷を負った海保機の機長は3月末に退院し、警視庁は国の運輸安全委員会と調整した上で聴取を検討する。

 捜査関係者によると、警視庁捜査1課は3月までに、事故当時に管制業務にあたっていた管制官13人の聴取を実施。事故が起きた「C滑走路」や、そこへの「C5誘導路」を担当した管制官は同課に、「滑走路全体を見ており、海保機の進入に気付かなかった」などと説明しているという。

 国土交通省によると、管制塔には滑走路への進入をモニター画面で知らせる監視システムがあるが、管制官は画面の変化にも気付かなかった可能性があるという。

海保機の機長、体調考慮 JAL側は聞き取り進まず

 海保機の機長は事故直後、警視庁や海保の聞き取りに、「進入許可が出ていると認識していた」「いきなり(機体の)後ろが燃えた」と説明。一方、国交省が事故翌日に公表した交信記録では、海保機に滑走路への進入許可が出ていなかった。機長は3月末に退院したが、体調面を考慮し、回復を待った上で聞き取りを進める。JAL側への聞き取りは進んでいないという。

 事故は1月2日午後5時47分ごろ発生。JAL機(エアバスA350型機)が同空港のC滑走路に着陸しようとしたところ、滑走路上の海保機(ボンバルディアDHC8型機)と衝突し、双方が炎上した。海保機の5人が死亡し、機長もやけどを負った。(遠藤美波、長妻昭明、藤田大道)

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