1600年の関ケ原の戦いの直前、戦国武将の細川幽斎が西軍の大軍を迎え撃ったことで知られる京都府舞鶴市の田辺城跡。その籠城(ろうじょう)戦の舞台となった「虎口(こぐち)」(城の出入り口)跡が残る石垣の模型を、舞鶴工業高等専門学校の学生たちが3D技術を使って完成させ、市に寄贈した。今後、田辺城資料館に展示される。
市によると、田辺城の籠城戦は、石田三成方の西軍を相手に幽斎が立てこもった。その日数は52日間で城攻めに参加した西軍の1万5千と言われる兵が関ケ原の戦いに間に合わなかったとされる。
石垣は長さ48メートル、幅12メートルで、2023年の市の発掘調査で出土した。幽斎が築城した時期の大手門があったと伝わる本丸南側で見つかった。虎口は、江戸時代の別の城主の大規模改修で形状は変わっていたが、籠城の様子が描かれた江戸時代の「田辺籠城図」で位置が確認された。
だが、発掘場所は宅地予定地で、元に戻す必要があった。石垣は分解して保管できたが、出土した姿も保存したいと、市が頼ったのが舞鶴高専だった。過去に、シベリア抑留者らを乗せた引き揚げ船の3D模型を作っていた。
市から打診を受けた高専の舩木英岳准教授は、電気情報工学科4年の授業の課題にした。参加を募ったところ、4人の学生が手を挙げた。
作業は昨年4月から始まった。市が提供した約800枚の石垣の写真を元に、1~2カ月をかけて3Dのデータを作った。さらに高専の3Dプリンターを使った印刷に約1カ月をかけ、80分の1のスケールの模型を昨年7月に完成させたという。
模型は1月29日に市に寄贈。贈呈式に出席した友田幸太郎さん(19)は「プリンターの大きさなどから、データが示す細部を表現するのに苦労した。模型を3分割してプリントし、石垣の石と石の隙間も再現できた」と話す。
伊勢巧さん(19)や沢井俊亮さん(19)も、遺跡の形状を3Dプリンターの技術を使って残す面白さや意義を感じたという。ただ、模型の色付けは手作業で「そこは自信がありません」と3人は苦笑した。
市文化振興課の担当者は「触れることができる田辺城跡の教材としての活用も検討したい」と話す。