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パレスチナ自治区ガザへのイスラエルの攻撃が続く中、もう一つのパレスチナ自治区、ヨルダン川西岸の村を記録した映画が、米アカデミー賞を受賞した。共同監督の一人、バーセル・アドラーさんはこの村の住民だ。占領に苦しめられてきた彼は、パレスチナとイスラエルの共存について、どう考えるのか。
連載「2国家解決の行方」
イスラエル軍のパレスチナ自治区ガザへの攻撃は開始から1年半たった今も続いています。地域の平和への道筋とされてきた「2国家解決」(イスラエルと将来のパレスチナ国家の共存)は今も可能か識者らに聞きました。
――映画「ノー・アザ―・ランド」は、パレスチナ人2人とイスラエル人2人が共に制作し、監督を務めた作品です。その一人、ユダヤ人のユヴァル・アブラハームさんとあなたの関係はどのように生まれたのですか。
略歴 バーセル・アドラ―さん
Basel Adra 1996年生まれ。15歳のころからイスラエル軍による故郷への暴力を告発する運動家・ドキュメンタリー作家として活動。
「映画の舞台となった私の故郷マサーフェル・ヤッタは、イスラエル軍や私たちの土地を奪ってそこに住むユダヤ人入植者による攻撃に、日常的にさらされています」
「彼らは家を取り壊し、井戸にコンクリートを流し込み、立ち退きを強要する。村の人々が力を合わせて再建しても、また壊しにきます」
■なぜ占領の異常さを伝えるた…