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100年をたどる旅 憲法編

 敗戦翌年に公布された日本国憲法は平和主義を掲げたが、日本政府は柱である9条の解釈を緩めつつ、米政府との「協議」を先行させて防衛力や軍事協力を強めてきた。それは立憲主義の「棚上げ」であると指摘してきた独協大学名誉教授の古関彰一さんに聞いた。

 ――敗戦後の占領下でできた憲法は9条で「戦力不保持」を掲げました。しかし米ソの冷戦になると日本は米国側との講和で1952年に主権を回復し、米国の求めで再軍備します。

 「日本の再軍備は北朝鮮軍が一時朝鮮半島南端にまで迫った朝鮮戦争を抜きに語れません。『戦力』に及ばない『自衛力』の保有は合憲と首相の吉田茂が国会で答弁し、54年に自衛隊ができます。世論調査には再軍備への理解が見てとれます」

 「ただ、講和条約と同時に結ばれた日米安全保障条約は、占領後も米軍の駐留継続を日本が認めることが主な内容でした。このため、55年に米アイゼンハワー政権の国務長官ダレスとの会談で、鳩山一郎内閣の外相重光葵が『不平等』だとして条約改定を求めます。そこで、憲法との関係が議論になりました」

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外相を務めた重光葵(左)と米国務長官を務めたダレス

 ――どういうことでしょう。

 「日本側の記録や証言によれ…

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