オノ・ヨーコさん=2013年12月

 ジョン・レノンの妻で、前衛芸術家のオノ・ヨーコさん(92)の半生をたどった伝記「YOKO」が今春、米国で発売され話題になっている。著者は、長年親交がある米国のジャーナリスト、デビッド・シェフさん(69)。芸術家などではなく「ビートルズ解散の原因」との印象をいまだに根強く持つ人がいることに気づき、執筆を思い立ったと明かす。日本語版の発売に合わせて話を聞いた。

24歳のときにインタビュー

 ――ヨーコさんとの最初の出会いは。

 1980年、米プレイボーイ誌に掲載するヨーコさん夫妻のインタビューを任されました。私が24歳のときです。

 取材趣旨の説明のために初めて会ったときは冷たい印象でした。私は悪意がないことを証明しようと必死でした。

 ただ、実際に取材を始めるとオープンに、何でも話してくれました。オフレコ対応を求めることも一切なく、レノンさんにも会わせてくれました。レノンさんと別居していた時期のことや、家族、両親との難しい関係など、非常に正直に語ってくれました。取材はニューヨークで約3週間にわたり、当時、アルバム「ダブル・ファンタジー」を制作していたスタジオやセントラル・パーク、当時の住まいなどで行いました。

 ――なぜ最初は冷たかったのでしょう。

 長い間、メディアでひどく扱われてきたからでしょう。人種差別や女性蔑視も多く、悪者のように書かれてきたし、自身やレノンさんを守ろうとしていたと思います。

 ――逆になぜ受け入れてくれたと思いますか。

 私が若くて経験も浅かったことで、興奮していろいろな話を聞いたからかもしれません。インタビューは音楽だけでなく、家族や政治、環境、暴力、芸術作品などにも話が及び、純粋にオープンな人間だと認識してくれたのかなと思います。ビートルズやレノンさんの音楽だけではなく、ヨーコさんの作品にも関心があり、その点も好まれたのかもしれません。

ヨーコさんは息子のために……

 ――記事を出してまもなく、レノンさんが亡くなりましたが、その後も関係が続いたそうですね。

 少し時間をおいて会いに行くと、レノンさんについて話したくてたまらない様子でした。2人は当時、非常にプライベートで静かな生活を送り、広い友人関係を持っていなかったからではないかと思います。

 その後もお互いを訪ねたり、夜中に長時間電話をしたりする関係が続き、私がつらいときにも助けてくれました。

 ――どんなことがあったのですか?

 私の息子ニックが薬物中毒に…

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