人々が自由に活動しつつ共存できるよう、セキュリティー(安全)の維持を国家に期待した結果、自由を失うこともある。憲法が保障する人権をめぐって近代国家につきまとう難題であり、今の日本ではそのバランスが自由からセキュリティーへと傾く。処方箋(せん)を求めて古典を読み直し、「自由とセキュリティ」(集英社新書)を著した杉田敦・法政大学教授(政治思想史)に聞いた。
――自由とセキュリティーをめぐる国民と国家の間合いを突き詰めて考えた政治思想家として、ホッブズに注目されています。英国で国王から議会に権力が移りつつあった17世紀に活躍しました。
セキュリティーとはもともと、不安がないことを意味します。自然災害や感染症への対応はもとより、侵略への対処から食糧や水の確保に至るまで、あらゆる領域にまたがる政治課題です。近年では、市民を巻き込むガザへの攻撃やウクライナへの侵攻、そしてコロナ禍によって、セキュリティーの重要性が世界中で意識されました。こうした問題に対処するには群れとしてまとまり、権力を一元化するしかない。ホッブズの発想ではそうなります。
ホッブズは人間が完全に自由…