天児牛大さん=2019年撮影
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 白塗りの舞踊手たちが踊る「山海塾」を主宰し、1980年代以降の欧州の芸術界で「BUTOH」のムーブメントを巻き起こした舞踏家の天児牛大(あまがつ・うしお、本名上島正和〈うえしま・まさかず〉)さんが25日、心不全で死去した。74歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を開く予定。2017年に下咽頭(いんとう)がんを患ったが、治療を続けながら作品制作と発表に取り組んでいた。

  • 「我々の価値観を根本から覆した」欧州に天児牛大さんが与えた衝撃

 神奈川県横須賀市生まれ。高校卒業後に入った俳優養成所でモダンダンスとバレエを習う。70年代初めに舞踏の創始者である土方巽や大野一雄に出会い、舞踏の世界へ。

 72年、麿赤兒(まろあかじ)さんの舞踏集団「大駱駝艦(だいらくだかん)」の設立にかかわり、75年には「山海塾」を旗揚げした。80年、初の世界ツアーを敢行。パリ市立劇場の監督に才能を見いだされ、82年から同劇場を創作の拠点にし、世界48カ国で作品を発表。フランスを起点に、麿さんや室伏鴻(こう)さんらと、日本発のアートとしての「BUTOH」の名を世界に広める一翼を担った。美術家の中西夏之さん、彫刻家の舟越桂さん、作曲家の加古隆さんら、様々なジャンルのアーティストと垣根を越えて交流、作品制作をおこなった。

 仏バニョレ国際振り付けコンクール審査委員長も務めた。ペーター・エトベシュさん作曲のオペラ「三人姉妹」の演出で98年、「Lady SARASHINA」で08年、フランス批評家協会最優秀賞。02年、「遥(はる)か彼方(かなた)からの―ひびき」で英ローレンス・オリビエ賞の最優秀新作ダンス作品賞。07年、「時のなかの時―とき」で朝日舞台芸術賞グランプリ。11年に紫綬褒章、14年には仏政府から芸術文化勲章の最高章コマンドールを受けた。著書に「重力との対話」。

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