23日に閉幕した第107回全国高校野球選手権大会は、3年ぶり31回目出場の県岐阜商が、16年ぶりの4強に入る大健闘を見せた。昨秋に就任し甲子園初采配だった藤井潤作監督(53)が掲げる「感性重視の野球」が時間をかけて浸透し、選手たちは甲子園でも飛躍的な成長を続けた。
秀岳館(熊本)と母校・県岐阜商を幾度も甲子園に導いた鍛治舎巧・前監督(74)が、昨夏の岐阜大会決勝敗退後に辞任。副部長だった藤井監督が9月に着任した。
社会人野球出身で商業の教諭。前回の甲子園4強の際はコーチ(副部長)を務めた。前任の東濃実監督時代も選手育成には定評があった。
監督就任以来、「フィールドに立っている時に、相手の狙いなど様々な情報に気づく感性」など頭脳的な野球の重要性を選手たちに説いてきた。
例えばこうだ。「試合でボールが動いている時間は2時間のうちわずか十数分。ボールが動いていない時間の『間』をうまく使えば勝てる。使えなければ負ける。何を考えるか、何を準備するか、常に脳をフル回転させなければならない」
だが選手たちは戸惑った。ある主力選手は「前監督時代は、猛練習によって『守備も打撃も体に覚え込ませろ』という野球だった」。藤井イズムを一足飛びに浸透させるのは難しく、秋の県大会は準々決勝で敗れた。
だが藤井監督は持論を貫いた。選手たちとコミュニケーションを図り、次第に距離も縮めていった。
チームの特長の打撃力もてこ入れした。鍛治舎前監督がスイング力を鍛え上げていたが、加えて力を入れたのがウェートトレーニングの強化だ。
昨秋に新しい設備を導入し、トレーナーのきめ細かな指導でパワーアップ。打球の飛距離がどんどん伸びていった。
思い切った配置転換も辞さなかった。昨秋の県大会に捕手として出場していた柴田蒼亮選手(2年)を投手に、同じく三塁手だった小鎗稜也選手(3年)を空いた捕手にコンバート。この急造バッテリーが甲子園での快進撃の核になった。
これら判断の妙を、あるチーム関係者は「選手目線に立ち、能力を引き出すのがうまい。100の力を100出させることができる」と評する。
一例が、大会随一の名勝負と言われる準々決勝の横浜戦での投手起用だ。
藤井監督は前夜、選手と数人で銭湯に行った。そこである投手が「冗舌」なことに気づいた。「こいつコミュ力が上がったなと」。別の選手はこの投手の前日について「自分が登板したら絶対に抑える、とずっと言ってたんです」と証言する。
大舞台でも戦えるマインドに成長していることを見抜いた指揮官は、同点の延長十一回に和田聖也投手(2年)を投入。横浜の打者3人をわずか7球で仕留め、裏のサヨナラ勝ちを呼び寄せた。
選手たちは甲子園で躍動した。横浜戦でサヨナラ打の4番坂口路歩(ろあ)一塁手(3年)、勝負強さが光った5番宮川鉄平左翼手(3年)、大会の注目選手になった横山温大(はると)右翼手(3年)……。
各自が考え抜いたポジショニングやノーサインでのビッグプレーなど、指揮官が求める「感性を重視した野球」が目立った。元気さも際立ち、チームテーマ「底抜けに明るい最強チーム」を体現した。
飛躍の裏に、野球だけを見つめ過ぎない教員監督ゆえの指導方針も垣間見えた。「日常生活がグラウンドで出る。学生としてやるべきこと、勉強、掃除、提出物、テストなどを大事にした上で、野球をする時は切り替えてしっかりやる。野球を楽しむために日常を頑張ろう、と言っています」
仲間たちに「藤井監督を信じてやっていこう」と呼びかけ続けたのは河崎広貴主将(3年)だ。「途中で監督が代わって、つらいことも苦しいこともたくさんあった」と振り返る。
そして柔和な表情で続けた。「野球というものを教えてもらったし、野球以前の日常生活なども一から学ばせてもらった。これから野球を離れたとしても、いい大人になれるよう育ててくれた。最高の監督です」