記者コラム 「多事奏論」 編集委員・岡崎明子
テレビから「お盆なので、帰省して親孝行します」というインタビューが流れる時期が今年もやってきた。
考えてみれば、お盆とは不思議な言葉だ。ルーツは仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」で、餓鬼道に落ちた母を救った親孝行の話が由来だ、という説がある。
先日、文芸評論家の三宅香帆さんと臨床心理士の信田さよ子さんの対談を聞く機会があった。そこで「教育現場における『親孝行』のナチュラルインストール」が話題にのぼった。
例に挙がったのが、全国の小学校で広まる「2分の1成人式」。10歳の節目に、親への感謝の手紙を読み上げると、親も思わず涙して――という行事だ。それぞれの家庭事情への配慮に欠けると、これまでも批判されてきた。
「家族は仲良く、という社会規範がもう少しなくなれば楽になれるのに」と三宅さんが話すと、信田さんは家族への規範は弱まるどころか、ここ最近、強まっているのではないかと返した。20代の人との会話の中で、「親孝行」という言葉が自然に出てくることに驚くという。
戦前、国は「孝」を「忠」に結びつける考えを浸透させ、親孝行を絶対的な価値とみなしてきた。戦後、家制度は解体されたはずだが、信田さんは「日本には、それに代わる原理がまだないのではないか」と指摘する。
2人の会話を聞きながら、恥ずかしながら私も「親孝行はいいことだ」と思考停止していたことに気づいた。そして親孝行は「呪いの言葉」にもなり得ることに気づき、ハッとした。
というのも、子どもを暴力や…