イメージイラスト・張思甜

 母(当時82)はいつものように朝の散歩から帰ってきて、NHKのテレビ体操を見ながら体を動かし、自室で「日記」に取りかかった。昨年6月14日のことだ。いずれも、アルツハイマー型認知症と診断された母のために、2人きりで同居している次女(56)が採り入れた日課だった。

 次女はこの後、母に何度も暴行を加え、翌15日未明に死なせたとして傷害致死罪で起訴された。新潟地裁で今年5月に始まった公判で、母と過ごした日々を語った。

 2人が「日記」と呼んでいたのは、その日の新聞から記事を選んで感想文を書くことだった。

 「できたあ?」

 そう言いながら母の手元にあるノートをのぞき込んだ次女は絶句した。書かれていたのは新聞記事とは全く関係のない意味不明の文章だった。怒りというより諦めのような気持ちになった次女は、いったん「日記」をやめさせて昼食後にやり直すことにした。

 日課のクロスワードパズルの時間を30分繰り上げ、午後4時半から「日記」を再開した。題材にしたのは地方紙に掲載された小さな記事。「出かける時は鍵かけて」の見出しに、地元の保育園児が防犯を呼びかけるポケットティッシュを買い物客に手渡す写真が載っている。

 しばらくしてのぞいても記事に沿った文章にはなっていなかった。

 「どういう内容?」と次女。

 「鍵をかけないと泥棒に入られる」と母。

 「じゃ、そう書けばいいじゃん」

 「えっ、いま何言ったっけ?」

 会話では理解できてもすぐに忘れてしまう。毎日毎日同じことの繰り返しだった。

 「なんでできないの」

 午後5時。次女は、カーペットの上に直接座っていた母の左太ももを踏みつけた。「痛い、やめて」と言いながら体をよじる母の足や腰を、次女は執拗(しつよう)に攻撃した。暴行は断続的に続いたが、午後7時半、母は何とか「日記」を完成させた。

 その日の夜、母の容体が急変する。浴室から出て転倒し、次女の通報で病院に運ばれた。翌15日午前5時19分、母は入院先の病院で死亡した。足や腰からの多量の出血が原因だった。同じ日、次女は逮捕された。

母が救急搬送された病院=6月、新潟県内、山崎靖撮影

 母の認知症の進行を防ごうと懸命だった次女がなぜ、母を死に至らしめたのか。今年5月27日の第2回公判。被告人質問では、黒のスーツ姿の次女に暴行を繰り返した理由が問われた。

「心配すればするほど怒りっぽくなる」

 弁護人 「あなたの暴行はどのくらい続いていたんですか?」

 次女 「4、5分くらいのが2、3回あったのかなと思います」

 弁護人 「あなたの暴力で母親がこのまま死亡してしまうかも知れないと考えなかった?」

 次女 「そのときは頭が真っ白になってて、頭に血が上っていたので考えられませんでした」

 裁判官がさらに迫る…

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