自宅で愛用のマックに向かう谷川俊太郎さん=2018年、東京都杉並区

 太陽が沈み、深く長い夜が残された。谷川俊太郎さん逝去の報に、言葉のない世界に投げ出されたような衝撃と心許(こころもと)なさを感じずにいられなかったのは、きっと私だけではないだろう。

 谷川さんのおかげで私たちは、言葉というものがこれほどまでに強く、朗らかに世界を照らせるものだということを知った。思いがけなく人を傷つけ、一瞬で厚い壁を築いてしまう。そんな言葉という厄介でもどかしいものを信じ、絶望することなく生きてこられたのは、この人が同じ時代にいてくれたからだった。

  • 亡くなる2週間前、谷川俊太郎さんは言った 「死ぬっていうのは…」

 谷川さんは詩という子宮の中で、胎児のごとく、時に無意識に、言葉の宇宙と戯れることができた。それは言葉のなかに音楽を見いだしていたからだった。谷川さんは自身のことを「耳の人」と呼んだ。「僕の詩は音楽と一心同体」と。

 こうも語った。「音楽は、無意味だからこそ素晴らしい。意味を引きずる言葉をどう無意味に近づけるか。それが詩の問題なのだと僕は思っている」

 音楽談議にも、快く応じてくださった。その時の対話の一部を、ここに書き起こしておきたい。

谷川俊太郎さんの詩をもとに作られ、今も多くの人に歌い継がれている合唱曲は少なくありません。また、谷川さんは武満徹さんをはじめ数々の音楽家と深く交流していました。音楽担当の吉田純子編集委員が、谷川さんと音楽との関わりや、そして谷川さんと武満さんによる作品「死んだ男の残したものは」についてつづります。

 ――シューベルトは、朗らかな長調で悲しみの奥底を描いた。レッテルが虚(むな)しくなる。そうした世界は、言葉でも表現できるものか。

 「できるかどうかはわからないけど、目指してはいます。モーツァルトの、僕が大好きな数小節に匹敵する詩が書けたら死んでもいいと思ってる」

 「散文は絶対、音楽には近付けない。詩も、長ければ散文になるからやっぱり近付けない。意味が生まれちゃいけないんだ」

 「意味から一切離れるってことは不可能だから、究極にあるものは、僕は『存在』と呼んでいる。言葉はその存在に一生懸命迫っているわけだけど、存在そのものにはなれない。その場合には、言葉を通して存在の手触りみたいなものに近付くしかないというか。俳句なんて特に、言葉で直接存在に触る世界でしょ」

 ――音楽に触れた、と思えるご自身の作品はありますか?

 「『芝生』っていう詩があっ…

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