現場へ! 旧石器時代の旅(2)
文化人類学者でもある探検家、関野吉晴(76)の考えでは、「人類の歴史は、鉄のない時代とある時代で大きく分けられる」という。日本に鉄が大陸から入ってきたのは、世界史的には新石器時代といわれる縄文時代末期の紀元前3~4世紀とされている。
鉄製の農具の普及は、その後に続く弥生時代の農耕・牧畜の爆発的な発展をもたらした。文明が発達し、生活もより安定するとともに、作物の備蓄や土地の囲い込みといった「所有」が意識され、鉄でできた武器による争いごとも激しくなった。
関野は、天然林を切り開いて田畑や牧草地にするなど、生き延びるためとはいえ人が都合よく自然に手を加える行為は、開発や工業化で気候危機を招いた今に通じるものがあると感じている。
一方、旧石器時代はマンモスの絶滅の一因が狩猟にあると言われるが、「人類がほかの生き物と同じ自然の一部分になっていた」。縄文時代も獣狩りや木の実獲りといった狩猟採集が暮らしの中心だが、三内丸山遺跡(青森県)でクリやマメ類の栽培の跡が見られるなど、鉄器はなくても自然との向き合い方は変わりつつあった。
「旧石器人は獲物は決して独り占めせずに分け与えるなど、平等で貧富の差もほとんどなかったといわれる。格差のないそんな社会に思いをはせたい」と、関野は時を超えた今回の旅の目的を話す。
狩猟採集の暮らしという点では、旅の拠点のひとつ、温暖な沖縄・石垣島は食べ物の心配があまりない。3月なかばに滞在した際には、砂浜や磯辺が目の前にあるガマ(洞窟)でコウモリと同居しながら、近隣の海岸や林で沖縄の食を支えるアオサやオオタニワタリの新芽、小さな貝類が多く採れた。干満の差でできた潮だまりで魚やカニを捕る期待もふくらむ。
関野にはもう一つ、鉄のない時代にこだわる理由があった。40~50代の時、旧石器時代の人類が世界各地に散らばっていった足跡をたどる「グレートジャーニー」を9年越しで敢行した際、文明社会と隔絶した密林などにいる先住民らの中に、旧石器時代と変わらない生活を送る人々が現代にも存在するのではないか、というひそかな期待があった。
アマゾンの奥地で見た現実
だが、現代の生活を送る都市…