ジャンプするマルクス・レーム選手=2023年10月13日、東京都世田谷区、小玉重隆撮影
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 義足のジャンパー、マルクス・レーム選手は今夏、パリで再びパラリンピックに臨む。義足アスリートの世界記録を更新し続け、「オリンピックに出たい」と公言。だが、跳びすぎるがゆえに、健常者側からの批判にさらされてきた。あなたは、何と闘っているのですか?

マルクス・レーム(Markus Rehm)

1988年ドイツ生まれ。5歳で陸上を始める。2012年のロンドン・パラリンピック以降、3大会連続で金メダル。昨年、東京五輪の優勝記録を31センチ上回る8メートル72を記録。1991年のマイク・パウエル氏(米国)の世界記録8メートル95を超える跳躍を目指す。義肢装具士でもあり、お年寄りの障害者やアスリートの義足を作る手伝いをしている。

 ――パリ大会で、世界記録の更新をまた期待できそうでしょうか。

 「いいジャンプをした時は、体中にエネルギーがみなぎる。いつもこの感覚を探し続けています。実は、去年の世界記録を跳んだときの感覚は完璧ではありませんでした。もし完璧な感覚を見つけられたらと考えると、本当に楽しみです。今のところ限界は見えていない。もっと遠くへ跳べると思います」

 ――義足での跳躍は、感覚的にはどんなものなのでしょう。

 「義足自体には感覚がありません。だからバランス良く走ることが、まず難しい。さらに切断した足の皮膚は本来、跳躍の時に加わる600キロ以上の圧力に耐えられるようにはできていません。残っている足で多くのことをしなければならず、体への負担も大きい。ただ、そのことになかなか気づかない人が多いようです」

 「義足アスリートの中には、ブレード(スポーツ用義足)に解決策を見いだそうとする選手もいます。しかし、それは違うと私は考えています。練習し、学ぶことがすべて。解決策は自分自身の中にあります」

 ――14歳の時、事故で右足のひざ下を失いました。

 「ウェイクボードをしていた時、ボートのスクリューに巻き込まれて足を切断しました。2本の足があったころはスポーツ万能で、周囲も『マルクスは何でもできる』と思ってくれていました。ところが足を失ったら、『もうアスリートにはなれない』と言われた。耐え難い思いでした」

 ――それでも2008年、あなたはスポーツ用義足に出会い、この競技を始めました。

 「福祉用具の展示会でトランポリンで遊んでいたら、陸上のパラアスリートに声をかけられたのが出会いのきっかけです」

 「初めてブレードを手にした時のことは忘れられません。『これだ! これをやりたい!』と感じました。『私ならアスリートになれる』と信じられた。それから訓練を重ねました」

 ――記録を伸ばし、14年にはついに、陸上ドイツ選手権で健常者を抑えて優勝しました。

 「障害者が健常者に交じって出場できる大会でした。私は8メートル24を跳び、首位に躍り出ました。続いて2位の選手が跳ぶことになっていましたが、その時人生で初めて、勝ちたくないと思ったのです。ベンチで祈りました。『私より長く、いい記録で跳んでくれ』と」

「技術ドーピング」という批判

 ――それはなぜですか。

 「健常者と競うこの大会で優…

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