茨城県東海村で1999年にあった核燃料加工会社「JCO」臨界事故は、国内で初めて被曝による死者を出した。その体験を礎に、「障害者の避難」を研究している有賀絵理さん(44)。自身も、重度の身体障害がある車いすユーザーだ。
9月半ば、金沢市を訪れ、元日の能登半島地震で被災した障害者の生の声を聞いた。
ある避難所では、出入り口の階段脇にあるスロープに救援物資が積まれていた。「車いすだと外に出られなくなる。でも、誰も気づかないようだった」と聞いた。
車いすユーザーの側も「迷惑をかけたくない」と思って言い出せなくなるという。
「車いすだったら? 耳が聞こえなかったら? 目が見えなかったら?」。そんな想像力が、まだまだ足りていないと感じた。
できることはやった でも逃げるとしたら…
そんな「見落とされた課題」…