原爆ドームを模したオブジェ=2024年6月28日、札幌市白石区平和通17丁目、新谷千布美撮影

 広島・長崎以外で唯一の原爆資料館「ノーモア・ヒバクシャ会館」(札幌市白石区)を運営する北海道被爆者協会が、高齢化のため来春、解散することになった。会館は縁ある学校法人「北星学園」に無償譲渡される。被爆地から遠く離れたからこそ、隠した記憶。会館はそんな被爆者の心にも寄り添い続けてきた。

 「逃げて、逃げて、逃げて、北海道へきた」。会館の建設に携わった道被爆者協会事務局次長の北明(きため)邦雄さん(76)は、そんな被爆者の言葉が忘れられない。その女性は、晩年になって初めて被爆の事実を打ち明けた。

 北海道には2千人の被爆者がいたとされる。理由は、仕事や親族のつてなどさまざまだが、当時、広島・長崎に配属されていた部隊の軍人に道内出身者が多かったという。戦災者や引き揚げ者が対象の戦後開拓政策の主な入植地が北海道でもあった。

 ただ、被爆地から遠く離れてまで自分の体験を知られたくないと、被爆者健康手帳を取得しない人も少なくなかった。1985年の国の被爆者実態調査によると、道内で手帳を取得した被爆者は652人にとどまる。

 家族にも話さない人もいた。

 それでも自分の胸だけにとどめるには重すぎた。1968年、被爆者同士が体験を話せる「憩いの家」が欲しいという声が上がる。

 「れんが1個500円で」…

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