「100年をたどる旅~未来のための近現代史」日米編⑪
第32代米大統領フランクリン・D・ルーズベルト(FDR)は就任演説で「恐れるべきは恐怖そのもの」「ただちに行動する」と訴え、どん底に陥った経済の立て直しに動いた。ニューヨーク株式市場の大暴落を機に深刻化した大恐慌により、失業率は1929年初めの3・2%から32年には25%に迫り、一部地域では60%を超えていた。
職を失った人々に単にお金や物資を配るのではなく、インフラの建設をはじめ世の中の役に立つ仕事をさせた。政府が300万人超もの若者らを雇い、市民保全部隊(CCC)として各地にキャンプを張り、山林や国立公園などの整備にあたらせた。今も全米各地で彼らを顕彰する像を目にする。
「米国の政治にとって、ニューディールは革命といえるほどの大転換だった。その遺産は、今も私たちが日々享受している」。カリフォルニア大バークリー校のリチャード・ウォーカー名誉教授(地理学)は、ニューディールの遺産を一つひとつデジタル地図上に記録する「リビング(生きている)・ニューディール」のプロジェクトを率いる。
大きなダムや高速道路、橋だけではない。学校、市庁舎、図書館、公園といった身近な施設も現役で使われている。すでに2万以上をマッピングしたが、まだ「ほんの一部」だとウォーカー氏はいう。
「普段の暮らしの中で連邦政府の役割は見えにくい。それが『政府は無能だ』というプロパガンダを人々が信じてしまう理由でもある。インフラの存在を通じて、政府は人々の暮らしを改善させる能力があると示すことが、当時も今も政治的に重要なのだ」
もちろん、ニューディールも万能ではなかった。主に南部での人種差別の構造を温存したとの批判が絶えない。なにより、失業率が大恐慌前の水準に戻るには第2次世界大戦による特需を待たなければならなかった。景気対策としての有効性には、疑義が呈されている。
左派からは「財政均衡にこだわり、保守的すぎた」、右派からは「余計な介入が回復を遅らせた」と、両極からの批判がある。
とはいえ、ニューディール期に確立されたいくつもの制度群は、第2次大戦後の約30年に及ぶ「資本主義の黄金時代」の礎となる。経済成長の果実は労働者にも分け前が回り、社会が安定に向かった。国際的にも、金とドルを基軸とする「ブレトンウッズ体制」のもとで、米経済の力強さを支えに、西側各国が繁栄を謳歌(おうか)することになる。
ロックウェルが描いた豊かな食卓 揺らぐ「四つの自由」
米東部マサチューセッツ州の深い森の中に、20世紀の米国を代表するイラストレーター、ノーマン・ロックウェルの美術館がある。
代表作の一つ「四つの自由」の展示室で、来場者の多くはしばし足を止めることになる。
ナチスドイツなどのファシズムと戦う倫理的根拠として、当時のフランクリン・D・ルーズベルト(FDR)大統領が1941年1月の一般教書演説で打ち出した「四つの自由」(①言論と表現の自由②自身の神を信じる自由③欠乏からの自由④恐怖からの自由)を、ロックウェルがそれぞれ解釈した連作絵画である。
このうち「欠乏からの自由」のイラストは、感謝祭の食卓に集まった家族や友人が、焼き上がったばかりの巨大なターキーに、思わず笑みをこぼす様子を描いた。大恐慌中の米国や、当時戦場となった欧州で飢餓が広がった現実とは対極にある物質的豊かさを表現したものだ。
困窮している人は自由人では…