酒やシンナーに依存して精神科病院に入退院を繰り返し、刑務所にも服役。そんな壮絶な半生を歩んだ大阪市の依存症回復施設職員、渡辺洋次郎さん(48)は今、酒も薬物も断ち、全国で自らの体験を語っている。どんな思いがあるのだろうか。
「正体不明の感情」に苦しんで
――酒などへの依存はいつから?
中学時代、不良仲間から勧められてシンナーを吸うようになり、しだいに手放せなくなりました。卒業後は酒も覚えました。シンナーの吸引をするために盗みを繰り返して、少年院に入った時期もあります。
18歳からホストクラブなどで働くと酒が切れなくなって、アルコール依存症が重症になりました。たばこの火で腕を焼くなど自傷行為もやりましたね。20代で精神科病院に48回入院したのですが、退院するとすぐに酒やシンナーに手を出していました。窃盗などで逮捕され、30代初めに3年間、刑務所に入りました。
――なぜ依存したのでしょうか。
とにかく生きるのが苦しかったんです。何か正体不明の感情がずっと消えなくて。後に知ったのですが、依存症の背景には様々な生きづらさがあるといわれます。僕の場合、共働き家庭に育って、仕事に忙しい母親があまりそばにいてくれなかったんです。いま思えばその寂しさが根底にあったわけですが、当時は自分で自分の感情がつかめませんでした。それは、「本当の自分を見せたら、誰も相手にしてくれなくなる」と思って気持ちにふたをしてたからなんですね。だから誰にも相談することができず、酒やシンナーを頼るしかありませんでした。
初めて「生きたい」と感じた
――なぜ立ち直れたのですか。
20代から、依存症の当事者同士が思いや体験を語り合う「自助グループ」に参加しました。ただ、初めはあまりピンときませんでした。
刑務所に入ってカウンセリン…